日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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11月11日 松代大本営工事始まる

 

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 11月11日は、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)に

長野県の松代大本営の着工工事が始まった日です。

 

 (松代大本営制作の歴史的背景)

1944年(昭和19年サイパン島が陥落し、日本本土空襲の可能性が出たため、

日本政府は首都・東京が攻撃を受けることを想定し、その避難先として長野県の松本に皇居・大本営・政府機能を移転する計画を立て工事を始めました。

大本営とは、日本陸海軍の最高統帥機関のことで、太平洋戦争の終戦まで

存在しました。

松代の地下壕は3か所で工事が進められ、各省庁は「象山(ぞうざん)」、軍司令部は「皆神山(みなかみやま)」、御座所と参謀本部は「舞鶴山」が予定されていました。

  

 (長野が大本営の地に選ばれた理由)

大本営長野市松代地区に選ばれたのには

(1)近くに飛行場がある(長野飛行場)

(2)地質的に岩盤が硬くて頑丈

(3)「信州」は「神州(しんしゅう)」に通じ縁起がいい、

という理由が主に考えられるそうです。

 

 (11月11日工事開始)

 

太平洋戦争終戦の前年1944年(昭和19年 11月11日11時11分、象山で最初の発破が

行われ、工事が開始されました。

この日「1」が並ぶ時間ですが、この時間が選ばれたのは、漢字の十と一を縦書きにすると「士」に通じることから縁起を担いだためです。

そして、長野市松代地区の象山・舞鶴山・皆神山の3か所に地下坑道を掘りめぐらせる松代大本営工事が着工されました。

 

工事は1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日まで昼夜2交代制の突貫で行われました。

削岩機やダイナマイトを使い穴をあけ、細かいところはツルハシで形を整えながら、

昼夜2交代で掘削したそうです。

西松組や鹿島組といった当時の日本の建設業界最大手の関係者、

付近住民の学徒動員や勤労奉仕、そして徴用された朝鮮労働者が作業にあたったと

されています。

グループごとに工事を行い、作業が予定よりも進んだグループには食事の質を良くするなどの成果主義が取られていたそうです。

完成前に終戦を迎えましたが、75%程度が完成していたといいます。 

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ご存じのように、当時は太平洋戦争末期で、ほとんどの日本人成人男子は徴兵され戦地にいましたので、日本人の労働者数は限られていました。

そのため当時日本の植民地だった朝鮮人労働者が働きました。

 

慰安所に残る「物言わぬ歴史の目撃者」)

工事が行われた期間、近くに工事を指揮する人やそこで働く人のために慰安所が複数作られ、そこで慰安婦として朝鮮人の女性たちが働いていました。

ガイドをしてくれた人の話によると、その1つが、今も面影があるというので足を運んでみました。

 そこは松代町西条の民家の敷地内にあった建物で、借り上げられて臨時慰安所とされたそうです。

慰安所は、主に朝鮮人労働者が利用していたそうで慰安婦朝鮮人女性だったそうです。

慰安所の庭には松の木がありました。

慰安所を利用した人やそこで働く人など、多くの人がこの松の木を眺めた事でしょう。

 

そのころの建物は、現在は壊され、その地にはアパートができています。

しかし、松の木はまだ残っていました。

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おっさんは、今も残る松の木を眺めながら、「慰安所に植えられていたこの松の木は、色々なドラマを見てきたんだろうなあ。」と考えました。

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この松の木は物言わぬ歴史の目撃者であり証言者です。

   

(松代大本営、象山地下壕は公開中)

現在は象山地下壕が公開されています。

象山地下壕は、全長は約5854mの松代大本営、最大の地下壕で現在は519mが無料公開されています。

さっそくヘルメットをかぶって中に入りました。

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  地下壕は、幅4m,中心の高さ2.7m、軒高2mの縦坑(本抗)が20m間隔で20本、

それをつなぐ連絡抗が50m間隔で掘られ,碁盤の目のようになっていました。f:id:reiwa00502:20191024111301p:plain

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 途中で通行止めになっている場所もありました。

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 (隣には歴史館)

象山地下壕の隣には、「もうひとつの歴史館・松代」があります。

ここには地下壕の作成工事に携わった労働者の暮らしが再現されたり、写真やパネルが展示され、当時の生活がわかります。ガイドさんもいます。

住所:長野県長野市松代町西条479-13 電話: 026-278-7746

【「もうひとつの歴史館・松代」運営委員会のHP】

  

 

(松代大本営のその後・・)

 現在、松代大本営跡地は、養護施設、気象庁松代地震観測所(日本最大規模の地震観測所)、信州大学宇宙線観測施設など再利用されています。

象山地下壕からかなり歩きますが、松代大本営完成後、天皇の御所として使われるはずだった建物が今も残っています。

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<<松代大本営跡地への行き方>>

車:長野ICから車で10分以内

JR長野駅善光寺口(のりば3)から「松代高校行き」バスに乗り、松代八十二銀行前下車、徒歩20分

(かなり歩きますが、周囲の景色がいいので気持ちよく歩けます)

住所:長野県長野市松代町松代479-11

営業:9:00~16:00  休業:毎月第3火曜日

 【松代大本営に関する長野市のHP】

 ●松代大本営に関するオススメの書籍です。

 

 

 

 

 

・・ということで11月11日は

松代大本営の着工工事が始まった日です。

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