日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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11月25日 皇紀2600年を記念し宮崎に八紘之基柱(平和の塔)完成

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11月25日は、1940年(昭和15年)に、皇紀2600年記念行事の1つとして天孫降臨の地・

宮崎市に建設されていた八紘之基柱・平和の塔が完成し、その竣工式が行われた日です。

 

 (八紘之基柱)

この塔は、現在は、「平和の塔」と呼ばれていますが、戦前・戦中は、「八紘之基柱」

(あめつちのもとはしら)と呼ばれていました。

この塔は、神道で使う御幣を形どっていて、設計は著名な彫刻家の日名子実三が担当しました。高さは36.4メートルで当時、日本で1番高かった丸ビルを超えます。

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塔の正面には、当時の天皇の弟で、大正天皇の次男の秩父宮が書かれた「八紘一宇」の文字が刻まれています。

「八紘一宇」は、約1300年前に編纂された「日本書紀」に由来する言葉で、

全世界を一つの家のようにするという意味です。

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 また塔の四隅には信楽焼で造られた、農業・武道・商業・漁業に関する像が4体置かれています。

この塔がある芝生の部分の面積は紀元2600年に合わせて2,600坪あります。

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(塔の礎石)

この塔の土台となった部分には、縦45センチ、横60センチの石が、1789個集まって

構成されています。

 おっさんは、1時間ほどかけてこの石を1つ1つ見てまわりましたが、石には、送り先の名前が刻まれていて 石が送られてから80年が経過した今でも、送り先名を判別することができます。

1789個の石のうち、1485個には、送った団体名が記載されています。

 (石の内訳)

日本及び宮崎県内から…1417個

中国…198個

朝鮮…123個

台湾…40個

樺太…1個

パラオ…1個

カナダ…3個

アメリカ…2個

フィリピン…1個

ドイツ…1個

ペルー…1個

シンガポール…1個

中国から送られた石は、その多くが 当時、中国大陸で戦っていた日本陸軍からです。

というのは、当時の宮崎県知事の相川勝六の要請と陸軍大臣 板垣征四郎から

「軍または師団ごとに各々二個を標準とし、内一個は軍所属地付近のもの、

一個は第一線のなるべく皇威の及べる極限点付近のものを送れ」と通達があったから

です。

 

改めて石に刻まれた名前を見ていくと「●●部隊」という中国大陸で戦闘をしたり、駐屯をしていた部隊名、「●●愛国婦人同盟」といった当時の時代を反映する名称や「●●日本人会」といった名前が確認できます。

 

麒麟の模様の石)

 中でもおっさんが注目したのは、南京日本居留民会から送られた石で、見事な麒麟の模様が彫られています。麒麟は中国では非常におめでたいものです。

その麒麟の模様があるというこの石は、何かの建物の一部なんでしょうか??

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上海市政府庁舎の門と同じ模様の石)

当の土台となっている石の中には中国大陸にいた陸軍の部隊から送られた石が80個以上あります。その1つ中支志賀中山隊と刻まれた石は唐草模様の石です。

これは調査の結果上海にある上海体育学院の門にある石とわかりました。この上海体育学院日中戦争中は、蒋介石が建てた上海市政府庁舎でした。

 この石は中支志賀中山隊が戦利品として持ってきたのかもしれません。

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【塔の竣工を伝える当時のニュース映像】

1940年(昭和15年)11月25日に塔は竣工式を迎え、高松宮が参列します。

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その模様は当時の映画ニュースの中で「高松宮殿下台臨八紘の基柱竣工」という

タイトルで伝えられています。(ナレーションはありません)

  

 (この塔が作られた1940年)

この塔の正面には「皇紀2600年」という文字が刻まれています。

これは、塔が建てられた年1940年(昭和15年)が皇紀2600年にあたる年だから

です。

この塔が完成する2週間前の11月10日には東京の皇居前で紀元二千六百年式典が

盛大に開催され2日間で5万5千人の参列者を迎えました。

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皇紀2600年式典につい書いたブログはココです】


この年は日本の建国のお祝いということで、札幌五輪万国博覧会東京五輪といった

国際的なイベントの開催も決まっていました。

しかし、長引く日中戦争でいずれも返上します。

一方、国際情勢に目を向けると日中戦争の真っ最中で、この年の3月30日には

蒋介石から離れた汪兆銘が南京に親日南京政府を樹立します。

すでに欧州戦線では第2次大戦は勃発しドイツ軍の進撃が続いています。

8月には日独伊三国軍事同盟が締結します。

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(内部には時代を象徴するレリーフ

年に何回かは、この塔の中に入ることができ、内部には、「天孫降臨」「神武天皇即位」「葦原中国平定」などが描かれたれレリーフがあり、当時の日本の雰囲気を知ることができます。  

 

おっさんは、この塔ができて50年目にあたる1990年(平成2年)に、

この塔の建設に当たった人に話を聞く事ができました。

その方は塔の近所に住む、当時、宮崎技芸女学校の生徒です。

勤労奉仕として、塔の建設のため皆で、モンペ姿で朝からモッコを担いで人力で

土地を開墾したそうで、この塔を作ることに自信と誇りを持っていたと

語っていました。

  

  この塔は、今では宮崎の観光ルートの1つになっていて連日多くの観光客の一団が

訪れています。

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【一番詳しいと思われる本】

 

 平和台公園HP】

 

宮崎市観光協会のHP】

 

 

 <宮崎平和の塔への行き方>

バス:宮崎駅東口より平和台公園行き(約30分)

JR宮崎駅からは徒歩30分程度

住所:〒880-0035 宮崎市北方町越ヶ迫6146

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11月25日は、

1940年(昭和15年)に

皇紀2600年を記念し

天孫降臨の地・宮崎に

八紘之基柱が完成した日です。

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