12月14日は赤穂浪士討ち入りの日です
2020年(令和2年)12月13日(日)朝10時、大阪市にある吉祥寺(きっしょうじ)で
義士法要が行われました。
事前にお寺に電話したら誰でも参加できるという事だったんで参加してきました。
(四十七士の墓と石造前でそれぞれ法要)
義士法要は、2020年(令和2年)12月13日日曜日の午前10時開始。
会場となる大阪吉祥寺には義士会会員の方10名ほどが参加。
おっさんもオープン参加させていただきました。
(四十七士の墓)
最初は四十七士の墓前で法要がありました。
四十七士の墓は、吉祥寺境内にあります。
1739年には、江戸にある泉岳寺よりも先に、浅野宗矩と四十七士の遺髪を納めた墓が
建立されました。
中央の五輪塔が浅野長矩の墓、その右が大石内蔵助の墓、左に内蔵助の息子の大石主税の墓、そしてその周りを義士たちが主人をお守りするような形で囲んでいます。
(四十七士石造)
続いて境内にある、四十七士の石造前での法要です。
この石造は、討ち入りから300年となる2002年(平成14年)に作られました。
四十七士墓前と石造前での法要は、30分ほどで終了しました。
(浅野家の大阪の菩提寺・吉祥寺)
この吉祥寺は、曹洞宗の寺で忠臣蔵で知られる浅野家の大阪の菩提寺です。
浅野家が参勤交代の際には立ち寄った寺であり、さらに義士討入り当時の住職は
赤穂の出身で、浅野長矩とも親交があったそうです。
吉祥寺には大きな大石内蔵助の石造がありました。
大阪義士祭りは「義士の遺志を伝えん」という意志から戦前から開催されています。
最近では多くの人が来ることができるように毎年12月第2日曜に、大阪義士祭が
開催されています。
なお、四十七士のお墓があることから、吉祥寺は、義士の寺と呼ばれています。
(忠臣蔵とは)
ここで忠臣蔵のおさらい。
1701年(元禄14年)旧暦3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、江戸城で吉良義央(上野介)を刀で切りつけケガを負わせます。いわゆる殿中松の廊下です。
当時の常識では、殿中での刃傷は死罪と決まっていたため、将軍・徳川綱吉は、
加害者の浅野内匠頭に切腹を命じ、腹を切った浅野内匠頭は東京の泉岳寺に
埋葬されます。
そして、無念の死となった主君の仇を討とうと浅野内匠頭長矩の旧臣・大石内蔵助良雄ら赤穂浪士が 浅野長矩が切腹した翌年の1702年12月14日深夜に吉良義央(上野介)を襲撃し殺害します。
討ち入りをした、浪士は、1703年2月4日に切腹となりました。
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(2020年はコロナで規模縮小)
2020年(令和2年)の大阪義士祭は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小し
法要のみでした。
例年は、法要の後、吉良邸討入りの日にちなみ、赤穂四十七義士に扮した子どもたちが行列を作り大阪城天守閣へ討入表敬訪問をします。
その後、通天閣を訪れて、寺までの間をパレードします。
また、寺内では居合、奉納ジャズ、津軽三味線などの奉納行事が催され、討入りそばやお抹茶がふるまわれるそうです。
しかし、2020年はコロナで中止。法要のみでした。仕方ないですね
【吉祥寺公式HP】
<<大阪の吉祥寺への行き方>>