1868年12月15日、北海道函館に蝦夷共和国成立
今まで何度か日本国内に2つ以上の政府ができたことがあります。
そのなかで明治初期に日本に誕生したのが、蝦夷共和国です。
蝦夷共和国は、旧幕臣の徳川勢が中心となっていて、その行政の本部となったのが
五稜郭はその星型のその形が有名な日本初の洋式城塞です。
ヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルとした土塁が五か所設置されている
稜堡(三角形の突端部)式の城郭です。
函館タワーから五稜郭 を見ると星状なのがわかります。
そして共和国誕生を宣言をした12月15日には日本で始めての選挙(入札)が行われ
榎本武揚が総裁に選ばれています。
(蝦夷共和国誕生までの流れ)
時は幕末、日本国内が新政府軍と旧幕府軍の戦いが起き内戦となった中、
1868年4月11日、新政府軍の西郷隆盛と旧幕府軍の勝海舟の会談で、
しかし、旧幕府側の面々は、新政府の数々の処遇に不満を抱きます。
新政府軍は旧幕府側に艦隊の引渡しを要求しますが、幕府海軍・副総裁の
榎本武揚はこれを拒否し8月19日、開陽丸など8隻の軍艦を引き連れ品川沖を
脱出します。
この8隻には彰義隊の生き残りなど総勢2000人近くが乗船しました。
船は途中,蝦夷で陸軍奉行となる大鳥圭介、新撰組の土方歳三、さらに政府軍との戦闘での残党と合流し、海路で蝦夷を目指します。
(蝦夷地上陸)
同年10月20日、榎本艦隊は、蝦夷地への上陸し二手に分かれて箱館へ進撃、
各地で新政府軍を撃破します。
この時の函館は、すでに行政を行っていた五稜郭が幕府側から新政府へと移って
いましたが、榎本軍の進軍で政府軍は青森へ撤退。
10月26日に榎本軍は五稜郭に入り、榎本自身も11月1日に五稜郭に入城します。
そして、五稜郭のほぼ真ん中にあった箱館奉行所にて政治を行います。
(わずか半年の蝦夷共和国)
12月15日、蝦夷共和国が誕生し、この時点で日本には明治政府と蝦夷共和国という2つの国が一時的に存在します。
この状況は翌年の春まで続きますが、4月9日、新政府軍は蝦夷地・乙部に上陸し
旧幕府軍との戦闘を再開し、5月18日には榎本武揚が降伏し蝦夷共和国は滅亡します。
(年表)
1868年(明治元年) 8月19日 旧幕府艦隊が江戸湾から北上、蝦夷地へ
10月26日 五稜郭無血入場
11月 5日 松前占領
12月15日 箱館占領、蝦夷地領有宣言
日本初の箱館政権入札(選挙)実施
1869年(明治2年) 4月16日 明治政府軍が松前奪還
5月11日 箱館湾海戦、土方歳三戦死
5月18日 五稜郭開城降伏、蝦夷共和国消滅
・・・ということで12月15日は
蝦夷共和国が誕生した日です。