今回は、おっさんが年末になると思い出す悲惨な思い出を・・・。
①冬至のカボチャ風呂
冬至。1年で1番昼の時間が短く夜が長い日です。
2020年(令和2年)の冬至は12月21日(月)でした。
子供の頃、我が家の夜は、父がカボチャを四つ切りし、お風呂に入れていました。
お風呂の中でカボチャは温められ、かぼちゃの種や実が浮き、ふろの湯が黄色く濁っていました。
そして、家族でこのカボチャ風呂に入っていました。
おっさんは、それが普通でどの家庭でも、当時にはカボチャ風呂につかるものだと、
そう信じていました。
しかし!!
「冬至のカボチャ風呂」は我が家だけの風習、しかも父親が勘違いから生まれたものでした。
通常のご家庭では、「冬至にはカボチャを食べ、ユズが入った風呂に入る」というのに何をどう間違ったのか、おっさんの父親が「冬至にはカボチャの風呂に入る」と誤変換してしまい、それが我が家の風習として定着しました。
その「カボチャ風呂」を受け入れ何も言わなかった母親もおかしいですね。
なぜ気が付かなかったんでしょうか???
おっさんが「冬至はカボチャ風呂に入る」ことが我が家オンリーの風習だと気が付いたのは大学生の時です。
ちょうど、友人のアパートで冬至を迎えたので、八百屋からカボチャを買ってきて
台所で切って風呂に入れようとしたら、その友人が驚愕したのを覚えています。
…冬至を迎えると、この「カボチャ風呂」をいつも思い出します。
カボチャ風呂では最後の方になると、風呂の中で時間をかけてカボチャが茹でられる
ためにカボチャの種や実がお湯の中にあふれ、お湯の黄色さが増します。そのお湯の中に入り肩まで浸かっていました。
お風呂の中で、人間のダシでかぼちゃの煮物を作っていたような感じでしょうか・・・。
②悲惨なクリスマスケーキ
クリスマスと言えば、普通に考えれば家庭でおいしい食事を食べクリスマスケーキを
食べるという楽しい日ですよね。
しかし、おっさんの幼少期は、クリスマスのお祝いなどとは無縁でした。
おっさんの家は父親が大正生まれの、いわゆる昔の人で「サンタはうちには来ない」と断言し、また当時公務員宿舎に住んでいて、そこは煙突がない家だったんで
おっさんも「サンタはうちには来ない」と納得していました。
そのためクリスマスケーキともあまり縁がありませんでした。
そんなおっさんにもクリスマスを祝うチャンスが到来しました。
小学校高学年の時に、同級生に、家が教会をしている女の子がいて、
その人が「うちでクリスマス会をするからおいで。ケーキもあるよ」と誘われたんです。
当然参加しました。
おっさんは、それまでキリスト教とは全く接触がなく、教会に行ったこともなく、
教会が何をするかもよく知らない、その程度の知識でした。
ただ、「クリスマスケーキを食べることができる。」「しかもキリスト教の本家・教会でケーキを食べれるんで、これはおいしいだろう」と期待が膨らんでいました。
クリスマス会は、終業式の次の日にあり、その日は朝から「ケーキが食べれるぞ」と
期待に胸を膨らませ喜んで教会に行きました。
教会に着くと、食事前に女の子の母親がみんなをテーブルに集めて、お祈りをしました。小学生でしかもキリスト教の知識がほとんどない、おっさんは何をどうしていいかわからずボーっとしていました。
やがてお待ちかねのケーキ。。
しかし!!・・・
このケーキが、明らかに誰かが食べ残したと思われるケーキの切り残しを無理やり、
くっつけてケーキの丸い形に合体させたものでした。
また、そのケーキが色々な食べ残しの種類を無理やり丸い方にに合体したものでした。
著作権の関係で、ここで画像は紹介できませんが、石森章太郎の名作「人造人間キカイダー」の顔のように凸凹丸です。
(50代以降の方ならピンとくると思いますが、想像がつかない方は、「人造人間キカイダー」で検索して顔を観てください)
そして、そのころのケーキは、バターケーキで 今のようなおいしい生クリームの
スポンジケーキではありませんでした。
期待値が100を超えていたおっさんは、このキカイダー型クリスマスケーキを見た
瞬間、一気に気分が冷却しました。
キリスト教の教会でのクリスマス会で出された、余り物のケーキが合体したキカイダー型の、胃にもたれやすいバターケーキ・・・・。
クリスマスになるといつも思い出します・・。
・・・・以上が
おっさんが年末になると思い出す出来事です。