1月27日は鎌倉時代の1219年、鶴岡八幡宮で鎌倉幕府3代将軍・源実朝が甥の公暁に暗殺された日です。と同時に公暁もこの夜に殺害されたため源氏の棟梁の血筋が途絶えた日でもあります。
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(頼朝の次男・実朝)
1192年に鎌倉で生まれます。1192年、、この年は父・源頼朝が征夷大将軍に任命された年です。
実朝は、1203年に兄・頼家の後を継ぎ、かぞえ12歳で第3代鎌倉幕府の将軍となります。
(武士として初の右大臣昇進の鶴岡八幡宮参拝時に暗殺)
実朝は、1218年には武士として初めて右大臣に任命されます。
そしてその昇進を祝うために、翌年の1219年に、源氏の守護神である鶴岡八幡宮に参拝します。
このときに事件が起きます。この日、鎌倉は大雪で2尺ほど雪が積もったそうです。
1尺がだいたい30センチなのでこの日は60センチの雪が積もったことになります。
参拝を終えて石段を下りるときに大きな銀杏に隠れていた公暁(頼家の息子、実朝の甥)に暗殺されます。享年28(満26歳没)。実朝を暗殺した公暁は討手により殺害され、ここで頼朝の血を受け継ぐ源氏の流れが途絶えます。
(隠れ銀杏)
ちなみに公暁が隠れていたという石段の正面から見て左側にあった大銀杏の木=隠れ銀杏は2010年(平成22年)3月10日に強風で根元から折れてしまい、今は小さな木が植えられています。
おっさんはこの隠れ銀杏が倒れる前にも鶴岡八幡宮に行き、実際に観ましたが、確かに夜の薄暗い時間なら人が隠れることが十分可能緒だなあと感じました。
(頼朝と子供たちはみな不幸な死に方)
もう一度家族構成を見てみます。
頼朝は歴史書の「吾妻鏡」によると落馬し17日後の1199年1月13日に53歳で亡くなります。
長女の大姫は、木曽義仲の息子・義高との恋愛を引き裂かれたことで精神状態が不安定になり悲惨な死を遂げます。
【頼朝の長女:大姫の死について書いたブログはココ】
長男で嫡男で2代鎌倉将軍の頼家は、修善寺で殺害されます。
その弟の3代将軍の実朝は頼家の子供の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺されます。
次女の三幡も短命でした。
頼家の息子の公暁も、実朝暗殺後に追ってに殺害されます。
(鎌倉右大臣)
実朝は歌人でも有名です。新古今和歌集の選者として知られる藤原定家の教えを受けていました。実朝自身も金槐和歌集を出しています。
また、小倉百人一首では鎌倉右大臣と言う名前で次の歌を詠んでいます。
世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも
鎌倉右大臣(93番)
(おっさん訳)
世の中の様子が、いつまでも変わらないでいてほしいなあ。
なぎさを漕ぐ漁師が小舟を綱でひいていく、ごく普通の情景が切なく感じるなあ。
・・ということで1月27日は
公暁も同時に殺されたことで
源氏の棟梁の血筋が滅びた日です。