福岡県第3の都市・久留米市。
江戸時代は有馬藩があり、ろうそくの材料のハゼが有名で(ろうそくは、電気がない時代の貴重な照明でした)、古くから商業が発達した街です。
筑後川が流れる米作地帯としても知られています。
久留米は、明治に入ると陸軍の師団司令部が置かれたり、ブリジストンを創設した
石橋さんを輩出しました。
篠山城は、江戸時代に久留米藩を250年間を治めた有馬氏の居城跡で、
かつては笹原城と呼ばれていました。最近は久留米城とも言います。
この神社は、1877年(明治10年)に建てられました。
(立派な石垣)
篠山城跡には、かなり立派な石垣や堀が一部残っています。
石垣の表面は、積み上げた後に、ノミと、頭の両端にとがった部分がないカナズチの
玄能(ゲンノウ)で、その表面の凹凸を整えて滑らかにして見栄えよくしています。
篠山城跡は本丸のみです。
南側正門、虎口(こぐち)・大手口から入ると一の門「冠木御門(かぶきごもん)」があります。冠木御門跡から本丸に入って行きます。
御殿跡に有馬の殿様を奉った篠山神社が建っています。
この篠山神社が建てられた場所には、本丸御殿と庭園があったとされています。
本丸御殿の西側には、大井戸が今も残っています。御殿の台所などで使用されていました。
本丸には計3ヶ所の大井戸があったと言われており、現存するのは、ここと有馬記念館前の1基の合計2基のみです。
(久留米篠山城の歴史)
久留米城の始まりは16世紀前半の戦国時代までさかのぼります。
城主が小早川秀包(こばやかわひでかね)から田中吉政へと変わり、その後、1621年には有馬豊氏(ありまとようじ)が入城します。
東西96.4m、南西156.4m、高石垣は約15m。中央には御殿、周囲は7つの櫓を
二重の多聞櫓で連結していました。
この篠山城は、廃藩置県が行われた1871年(明治4年)までの約250年の間続きます。
(久留米藩難事件)
「久留米藩難事件」とは、久留米藩の若者と長州脱藩者が協力し、誕生したばかりの
明治政府を打倒しようと計画しましたが、すぐに発覚して60数名が粛清された事件です。
この「久留米藩難事件」では十一代藩主の有馬頼咸や藩の重役を巻き込むもので、
ちなみにこの事件は「明四事件」とも呼ばれ、(明治4年におきたことから)
1874(明治7年)の「佐賀の乱」、その後の「神風連」「秋月の乱」「萩の乱」や
1877年(明治10年)の「西南戦争」などの反政府運動のスタートとなりました。
「久留米藩難事件」のあと1872年(明治5)年、新政府の所有となった篠山城は
売却されることになります。
しかし実業家の緒方安平(ブリジストンを作った石橋正二郎の叔父)たちが買い戻し1877年(明治10)年に、城の本丸跡地に、有馬豊氏ら5人の歴代藩主を祀る篠山神社が作られます。
(篠山城にあるもの)
「菊歩兵第五十六連隊碑」
「聖徳太子像」
「東郷元帥旧書斎」
(2021年で入城400年)
2021年は、久留米藩の初代藩主・有馬豊氏が久留米の地にやってきて、
入城400年となります。
【篠山神社公式HP】
【公益財団法人 久留米観光コンベンション国際交流協会公式HP】
また、篠山城から徒歩15分の場所には全国水天宮の総本山・久留米水天宮があります。
【久留米水天宮について書いたブログはココ】
JR「久留米駅」より徒歩15分
バスの場合は西鉄バス(3・6・8・9・24・52)番利用「大学病院」下車徒歩3分
九州自動車道「久留米I.C」より車で約20分
神社の駐車場は無料です。しかし台数は少ないです。
住所:久留米市篠山町444
篠山神社TEL:0942-39-0759