飛鳥時代の622年2月22日、聖徳太子が49歳でこの世を去ります。
2021年(令和3年)は聖徳太子が没してから
1400年目となる年です.
聖徳太子と言えば日本史の教科書に必ず出てきます。
日本初の女帝の推古天皇のとき皇太子になり蘇我馬子と共に補佐した
人です。
593年に摂政になって以降の、聖徳太子の功績で日本史の教科書に出てくる
4つの出来事を年代順に書くと・・
- 603年 冠位十二階の制定
- 604年 十七条憲法制定
- 607年 隋の小野妹子を送る
- 607年 世界最古の木造建築物・法隆寺を建設
・・・・です
(仏教派と神道派が対立)
飛鳥時代には、仏教を受け入れるかどうかで仏教派の蘇我馬子と神道派の物部守屋が
戦います。
その時に聖徳太子が陣を敷き、戦勝祈願をしたと伝わる神社があります。
戦勝祈願をした神社のブログはココ】
その玉造稲荷神社から歩いて10分もない場所で、JR森ノ宮駅の道路を挟んだ向かい側には、物部氏との戦に勝利をして作った神社もあります。
【聖徳太子が物部との戦に勝利し建てた神社について
書いたブログはココ】
【十七条憲法について書いたブログはココ】
【聖徳太子が摂政になった時のブログはココ】
また、聖徳太子には「雪丸」という名前の愛犬がいて、これが人の言葉を理解したり、
お経が読めたそうです。
聖徳太子の時代は1夫多妻制でした。
聖徳太子も複数奥さんがいますが、推古天皇の娘の菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)、そして蘇我馬子の娘の、刀自古郎女(とじこ の いらつめ)が奥さんでした。
つまり、天皇の娘と最有力豪族蘇我氏の娘を双方を奥さんにしていたのです。
ちなみに推古天皇は、聖徳太子の父親の用明天皇の妹で聖徳太子のおばさんです。
(妃の死亡の翌日に亡くなる)
622年、2月22日、聖徳太子は49歳でこの世を去ります。
その前日、2月21日には、聖徳太子妃の膳部菩岐々美郎女(かしわで の ほききみのいらつめ)がなくなっています。
聖徳太子は、その後を追うようにして翌22日この世を去ったわけです。
(2021年(令和3年)は没後1400年目)
2021年(令和3年)は、聖徳太子が没して1400年目に当たる年で
太子町は聖徳太子のお墓がある奈良県の太子町では、それにちなみ様々なイベントが
企画されています。
また、聖徳太子の遺体が納められている叡福寺では4月10日から5月11日まで
「聖徳太子1400年御遠忌大法会」が行われます、
これは聖徳太子がなくなった旧暦の2月22日が、2021年(令和3年)の4月3日にあたることからです。
大阪市にある四天王寺では、毎月22日が聖徳太子忌の太子祭です。
・・・ということで2月22日は、
聖徳太子がこの世を去った日であり
2021年(令和3年)は没後1400年目です。
なお、聖徳太子没1400年目というタイミングなので
可能な限り各イベントに参加するつもりです。
その模様はブログで紹介します