(豪華な雛人形が飾られた神社)
3月3日はひな祭りの日。ご家庭で雛人形を飾る方も多いと思います。
大阪市中央区道修町にある少彦名(すくなひこな)神社では、見事な雛人形が3月3日
まで展示されています。明治末期の豪華な雛人形です。
この立派な雛人形は、右の解説を見ると「別所家のお雛様」と書いてあります。
なぜ、このような立派なお雛様が神社に飾ってあるかというと・・・。
解説書によれば、この少彦名神社で代々宮司をつとめる別所家に嫁いできた
キクさんの嫁入り道具の1つ、それがこの雛人形という事です。
(くすりの道修町)
大阪市中央区道修町は、古来より薬種屋がたくさん集まった場所で、今も製薬会社が
多い「くすりの道修町」と呼ばれています。
下の写真の赤で囲んだ部分です。
ビルの谷間の細い路地の奥に本殿がある こじんまりとした神社です。
地域の人から「神農(しんのう)さん」と呼ばれ、日本医薬総鎮守で、病気平癒・健康成就の社として信仰を集めています。
この少彦名神社の本殿の左側の赤丸で囲んだ場所で、期間限定でひな祭りが飾られて
います。
3月3日までなので、近くにお住まいの方はお見逃しなく!!
(江戸時代に薬の街に誕生した薬の神社)
この神社がある大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場であり、
薬種業者が集まっていました。
江戸時代になると、清やオランダなど海外からの薬を一手に扱う薬種問屋も店を出します。
そして江戸幕府が、道修町の薬種屋124軒に全国に売りさばく特権を与え株仲間の
「薬種仲買仲間」が結成されました。その場所が、現在の少彦名神社です。
1721年には和薬を検査する和薬種改会所が設けられ、日本で商いされる薬が、いったんはここ道修町に集まったのちに品質と目方を保証したうえで全国に流通するようになります。
このようにここ道修町は日本の薬の流通拠点となりました。
そして1780年10月に薬の仲買仲間の団体組織である伊勢講が、薬業の繁栄と薬の安全を願うために、京都の五條神社から少彦名命の分霊を勧請し、すでに祀ってあった中国の農業と医学をつかさどる中国の神様神農炎帝と一緒に祀ったが始まりです。
(張り子の虎)
拝殿には首振りの張り子の虎が収められています。
さらに神社の入り口にも金色の虎が鎮座しており、病気平癒や健康のご利益が頂けます。
1822年に大坂でコレラが流行した時に道修町の薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という薬を調合し、少彦名神社の神前で祈祷して、
薬と一緒に「張子の虎」を配布しました。
その薬の効能がよかったため、「張子の虎」が神社のシンボル的な存在としてよく知られるようになったそうです。
時代が明治にうつると、資格を持たない人が薬を勝手に薬を配布することが禁じられました。しかし、「張り子の虎」は病気に打ち勝つ縁起物として重宝されています。
(11月22日・23日の神農祭)
11月22日・11月23日には神農祭というお祭りが行われます。
大阪の祭りは、この少彦名神社の「神農祭」で終わるため、神農祭は「止めまつり」
あるいは「とめの祭り」と言われます。
神農祭には道修町周辺の薬局や製薬会社が祭礼の提灯を掲げたり、竹に張り子の虎と
製薬会社の薬剤が入った箱や吹き流しをつるしたものが見られます。
(一粒万倍日に参拝)
おっさんが参拝した日は「一粒万倍日」でした。
この日は「一粒の籾が万倍実る稲穂になる」という大変縁起の良い日です
開業や財布の新調など物事をはじめるのによい日とされています。
【少彦名神社公式HP】
<少彦名神社への行き方>
大阪府大阪市中央区道修町2-1-8
TEL 06(6231)6958
地下鉄堺筋線・京阪電車 北浜駅6番出口徒歩1分、淀屋橋駅11番出口徒歩6分