3月1日は、
1932年(昭和7年)に
満州国が誕生した年であり、
かつ
2年後の1934年(昭和9年)同日には
満州国の初代皇帝に就任した日です。
愛新覚羅溥儀は、1911 年に中国で起きた辛亥革命で退位させられた清朝最後の
皇帝です。
その後、天津の日本租借地に身を移します。
日本軍と協力し1932年(昭和7年)3月1日に満州国が建国された時には、
執政になります。
そして、2年後には満州国皇帝になります。
溥儀は、1935年(昭和10年)に来日します。
5年後の1940年(昭和15年)6月には、皇紀2600年奉祝のため2度目の来日を
します。
満州国皇帝の溥儀の来日は、いずれの時も日本では国を挙げての大歓迎でした。
特に、昭和天皇がわざわざ東京駅のホームに出迎えに来るという最恵国待遇を
受けます。
日本の天皇がわざわざ相手を迎えに行くということは史上初であり,このような対応を受けた国家元首は今までも含めて史上唯一の出来事です。
下の写真は、2度目の来日1940年(昭和15年)6月26日、午前11時30分に特別列車で
東京駅第3ホームに到着した時の模様です。
この時、東京駅には、天皇の弟の高松宮や米内光政首相も顔を見せています。
【満州国皇帝入京を伝える日本映画ニュース特報】
しかし太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に大栗子という都市で満州国皇帝を退位し、敗戦後はソ連に連れ去られます。
そして終戦の翌年1946年(昭和21年)東京裁判の時、溥儀は連合国側の証人として
3度目の来日を果たします。
下の写真中央が、東京裁判に証人として出廷した溥儀です。
その後、中華人民共和国の収容所で暮らしたあと、ようやく一市民として開放され北京の植物園で働きます。
この溥儀と言う人は、まさに戦前の歴史の大きな激流に巻き込まれ、飲み込まれ生きてきた人でした。
その後、溥儀の人生は1987年(昭和62年)に「ラストエンペラー」と言う映画で全世界に紹介されました。
(満州国)
1932年(昭和7年)3月1日に建国。
首都は、新京(かつての「長春」を改名)、のちに1945年のソ連参戦後は「通化」に
遷都します。
そして1945年(昭和20年)8月18日に満州国は解体します。
というわけで、満州国はわずか13年ほど存在した国です。
建国理念として大和民族(日本人)・漢民族・朝鮮族・満洲族・蒙古族による五族協和と、東洋に息づく徳をもって統治し政治を行うという「王道楽土」を掲げました。
年号は、「大同」と「康徳」。
溥儀が執政だった1932.3.1~1934.2.29「大同」で、帝制移行後の1934.3.1~1945.8.18が「康徳」です。
通貨も紙幣も切手も独自で発行流通させていました。
下が満州国の国旗です。
(満州は日本の生命線)
満州国には、開拓団や企業・商社など日本から多くの人が移住しました。
おっさんは満州国の首都・新京に住んでいた人に話を聞きましたが、日本語で何不自由なく生活でき、終戦までは非常に豊かな暮らしをしていたそうです。
具体的には農作物などの食べ物が豊富で、大きな冷暖房完備の家に使用人を複数雇っていたそうです。
しかし、日ソ中立条約が有効であったにもかかわらず、ソ連が、その国際条約を一方的に破って,1945年(昭和20年)8月9日に参戦して以降は、命からがら日本に逃げ帰る
状況で、現地で命を落とした方、略奪や性的被害にあわれた方、のちに「中国残留孤児」となる方々も生まれています。
(満州国以外にも中国大陸に日本が作った国)
この満州国以外にも、この時期には日本が中国大陸に複数の国・政府を作っています。
主なものを挙げますと以下の通りです。
1939年(昭和14年)ー1945年(昭和20年)
蒙古地区に存在。徳王が主席。首都は張家口市。
【冀東防共自治政府(きとうぼうきょう じちせいふ)】
1935年(昭和10年)-1938年(昭和13年)
首都は「通州」のちに「唐山」。
1938年(昭和13年)中華民国臨時政府に合流
【中華民国臨時政府】
1937年(昭和12年)-1940年(昭和15年)
北京周辺にあり、1940年(昭和15年)王兆銘の南京政府に合流
【中華民国維新政府】
1938年(昭和13年)-1940年(昭和15年)
南京周辺にあり、1940年(昭和15年)王兆銘の南京政府に合流
1940年(昭和15年)-1945年(昭和20年)
蒋介石の元を脱出した王兆銘が日本と協力して南京に樹立した政権。
(参考文献)
満州国とその時代を調べたいときは以下の本が参考になります。
【満州帝国】
【「人はわれを漢奸と呼ぶ 王兆銘伝」】
【映画「ラストエンペラー」DVD】
3月1日は、
1932年(昭和7年)に
満州国が誕生した年であり、
かつ
2年後の1934年(昭和9年)同日には
満州国の初代皇帝に就任した日です。
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