大阪湾に入る紀淡海峡防衛のため 陸軍が淡路島に作った由良要塞(ゆらようさい)の
生石山堡塁(おいしやま ほるい)跡地を散策してきました。
広大な敷地で結構歩き回りました。
(紀淡海峡の守り:由良要塞)
由良要塞生石山堡塁は淡路島の東端、和歌山県との間の紀淡海峡に面しています。
生石山砲台は1989年(明治22年)から大阪湾、紀淡海峡の防衛を目的に設置された砲台群です。
成山砲台、高崎砲台、さらに淡路島の隣にある友ヶ島の堡塁・砲台などとあわせて由良要塞(ゆらようさい)を形成して、生石山堡塁は由良要塞の中心になっています。
なお、淡路島の由良(現洲本市由良)には要塞司令部が置かれていました。
(由良要塞 生石山堡塁)
由良要塞の生石山堡塁に行くには、 淡路島の生石公園の第二駐車場を目指します。
(第二駐車場)
道の突き当り・終着地が第二駐車場です。無料で車が5台ほど駐車可能です。
この生石公園の第二駐車場周辺一帯が、由良要塞生石山堡塁で、歩いて回ることが
できます。ここには5ヶ所の砲台跡が残っています。
第二駐車場には24cm可農砲があります。
海を向いて砲台が置かれていますが、もう少し置き方を工夫できないでしょうかねえ。
(塹壕)
駐車場から階段を下りると塹壕がありました。上陸しようとする敵軍をここで迎え撃つのです。塹壕がある砲台は珍しいです。
(レンガから見える事)
要塞に張り巡らされた赤レンガ、このレンガをよく見ると面白い発見があります。
レンガの積み方は数種類ありますが、その主な方法が「イギリス積み」と
「フランス積み」です。
<イギリス積み>
下の写真は、由良要塞生石山堡塁のレンガの積み方で「イギリス積み」です。
「イギリス積み」は、横一列は長いレンガを並べ、次の横列は短いレンガを並べると
積み方で、今まで見たレンガ造りの古い建物は殆どがイギリス積みです。
<フランス積み>
このレンガの積み方を見ると、横1列に長いレンガと短いレンガが交互に並べていきます。群馬県の富岡製紙工場の赤レンガも「フランス積み」です。
「フランス積み」は、あまり見ませんねえ。
【砲台跡地を散策】
由良要塞・生石山堡塁には以下の配備がされていました。
生石第一砲台:28cm榴弾砲(6門)
生石第二砲台:28cm榴弾砲(6門)
生石第三砲台:24cm加農砲(8門)
生石第四砲台:27cm加農砲(4門)
生石第五砲台:12cm加農砲(4門)
それでは第二駐車場から要塞内を歩いて見ていきます。
ただし、今は金網は張り巡らされていて、あるいはロープが張られていて、施設内には入れない場所がほとんどです。
【生石公園案内図より】
(第一砲台跡)
第二駐車場の近くには、第一砲台の跡があります。
第一砲台は、生石山砲台の中で最も南にあり、28cm榴弾砲が6門が配備されていて、
紀淡海峡に侵攻してくる敵艦を最初に射撃するようになっています。
榴弾砲は弾道が山形になるために軍艦の上の部分を破壊することが目的でした。
高い場所から砲弾を落下させるため生石山砲台のなかでは最も高い110mの場所に
あり、生石山高砲台と呼ばれていました。
28cm榴弾砲は、海岸から敵艦に向けて砲撃する巨大大砲で、日露戦争の旅順攻囲戦では特別に現地に運び込まれ、ロシア軍がべトンで固めた要塞の攻撃用として投入され、勝利に大きく貢献しました。
明治前半の工事のため、塁道の石畳以外はすべてが煉瓦づくりでコンクリートはまだ使われていませんでした。
(第三砲台から第4砲台)
この周辺はけっこう山道を歩きます。
【生石公園案内図より】
(第3砲台跡)
第三砲台は生石山砲台の中で最大規模でした。
標高は105mで第一砲台、第二砲台とほぼ同じですが、
規模は由良地区では最大で、24cm可農砲8門を1列に並べていました。
右翼4門は斯式36口径24cm可農で、日清戦争の時に大連の老龍頭砲台で戦利品として
持ち帰ったものでした。
左翼4門は26口径の国産の制式可農でした。
近くには発射の指揮を伺う観測所がありました。
(観測所跡)
敵艦までの距離と船の速度を計算し、砲撃の角度を指示していた観測所の跡地です。
観測所は各砲台の左右両翼に配置され、敵艦までの方向と距離と船の速度を計算して、
砲台長が火砲の角度方向を決め、砲手に指示をしていました。
観測所の両脇にはそれぞれ4門、合計8門の大砲(口径24センチ)が配備されていました。
(第五砲台跡)
第五砲台は、第三砲台と第四砲台の中間で、標高88.5mの地点にあります。
この第五砲台には、連射加農が4門配備されていました。
この砲台の速射可農という砲は、砲弾に薬莢が付いており、一回の動作で砲身に弾丸を
つめることができたため、発射する間隔が短く速射砲と呼ばれていました。
ここは、第一砲台から第4砲台までの大口経砲の死角になる部分を射撃したり、
中小規模の艦艇を攻撃するために作られました。
また、由良要塞の中では作られた歴史が新しいために他の砲台とは異なり、
赤レンガではなく石やコンクリートでの建造物です。
(お勧めは第4砲台跡)
第一駐車場の奥にある第4砲台、ここはおすすめです。
山道を数十分歩いて由良要塞の生石山堡塁を1つ1つ見るのはしんどいという方は、
ここだけでも見ましょう。
第4砲台跡がすぐ近くにある第1駐車場は無料で、たっぷりスペースがあります。
ここからの紀淡海峡の眺めもよろしいですよ。
由良要塞の砲台が築かれた場所は、瀬戸内海国立公園に指定されていて、海が見下ろせる眺めのいい場所でした。
しかし軍事秘密基地という事で戦前は当然ながら立ち入り禁止地区でした。
おっさんが指さしているのは友ケ島、ここにも要塞が作られていました。
(第4砲台跡)
生石山砲台の中では標高68メートルと低い場所にあるので、生石山低砲台と呼ばれて
いました。
そのため低い位置からの砲撃に適した12㎝加農砲が4門配備されていました。
この可農砲は、14100メートルで、対岸の和歌山の加太に届く射程距離でした。
第4砲台跡から正面が海です
第4砲台跡から見た海の景色
(設立の背景)
明治維新後、明治政府は、殖産興業・富国強兵に努めます。
特に富国強兵政策でフランス陸軍士官ミュニエーらの指導で、陸軍が湾口要塞、
海峡要塞の研究を進めます・
1880年(明治13年)に東京湾防備のため観音崎砲台を建設します。
次いで1887年(明治20年)に対馬と下関に要塞を築きました。
そして、1889年(明治22年)紀淡海峡・大阪湾を敵国の軍艦の攻撃から防備するためにここ由良要塞を築きました。
(由良要塞は実戦に使用されず)
由良要塞は、最盛期はここに1000人もの兵が駐屯していたということですが、実戦で
使用されることはありませんでした。
時代が戦艦から軍用機の時代に移った太平洋戦争時には高射砲も整備されてなく、大阪や神戸を空襲する敵爆撃機が飛来しても何もすることができなかったようです。
【ここで、おっさんが訪れた海峡の要塞を紹介】
②帝都・東京を守る 猿島要塞
③関門海峡の守り:和布刈砲台
④関門海峡の守り:手向砲台
紀淡海峡の守り、
広大な敷地に広がる 由良要塞生石山堡塁です。
<<由良要塞・生石山堡塁がある生石公園への行き方>>
車でしか行けません。神戸淡路鳴門自動車道洲本ICから約18km
第二駐車場(5台/無料)駐車場からは海が臨めて景色は良好です。
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】