「大阪天満宮」は、学問の神様・菅原道真を祀る天満宮で、大阪駅の近くにある天満と
いうエリアに鎮座しています。
日本一長い商店街として知られる「天神橋筋商店街」から横道に入ると神社があります。
広大な敷地で、地元では「てんまのてんじんさん」という呼び名で親しまれています。
1899年(明治32年)に刊行された本に掲載された明治時代の大阪天満宮。賑わいぶりがわかります。
(国立国会図書館ウェブサイトより)
(境内にあるもの)
菅原道真と言えば 牛 ですね。
撫でることでご利益をえられるということで、今まで多くの人が撫でてきたようです。
もちろん、おっさんもナデナデしましたよ。
ここで、解説:菅原道真と牛の関係。
道真は、845年)乙丑(きのとうし)の生まれで、さらに亡くなった903年2月25日は
丑年の丑の日でした。
太宰府に流され失意のまま無念の死となった道真の亡骸を、牛車に乗せて運んでいる時に、 牛が急に伏せて動かなくなります。これは道真の遺言であるとして、その地に亡骸が埋葬されます。この上に社殿が建立され、現在の太宰府天満宮となります。
その他。。大阪天満宮の広い境内には色々な物がありました。
君が代でおなじみの「さざれ石」。
神武天皇の難波之碕(なにわのみさき)顕彰碑もありました。
九州宮崎の美々津を、おきよ丸で出発し瀬戸内海を通り着いた所が、
ここ大阪天満宮の場所と言われています。
【神武天皇の美々津の船出について書いたブログはココです】
皇紀2600年を記念した碑もありました。
(歴史)
650年、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を作った頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社を作ります。
平安時代の901年、菅原道真が太宰府へ流されて現地に向かう途中に、この大将軍社を参拝しり旅の無事を祈願します。
やがて、大宰府に流された道真は失意のまま命を落とします。道真の死後およそ半世紀後の949年、この大将軍社の前に一夜で七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたと言われます。
この話を聞いた村上天皇が勅命でここに社を建て道真の御霊を厚く祀るようになりました。
その後、この神社は学問・芸能の神様として地域の人々や大阪商人たちの拠り所と
なります。
(天神祭)
大阪天満宮では、道真公の命日にちなんで、7月24日から25日にかけて天神祭が行われます。
この祭りは日本三大祭り、大坂三大祭りの1つとして知られています。
1000年余前から続く歴史あるもので、古式ゆかしい衣装を身にまとった3000人が街を
練り歩きます。
川では100隻以上の船が交う船渡御が行われます。
また同時に3000発以上の奉納花火も打ち上るという壮大なお祭りです。
<<大阪天満宮への行き方>>
大阪メトロ 谷町線もしくは堺筋線「南森町駅」下車4番出入口を出て徒歩5分程度
JR東西線「大阪天満宮駅」下車、7番出入口を出て 徒歩5分程度
住所:大阪市北区天神橋二丁目1番8号 TEL.06-6353-0025
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】