人々の生活に直結した名残を感じる名称がそのまま神社の名前になっている物があります。
鹽竈神社。絶対に漢字では書けない文字ですが、これは「しおがま」と読みます。
「塩竈」とは、海水を煮詰めて塩をつくる製塩用のかまど(竈)のことで、かつて日本の各地の海岸には、このようなかまど(塩竈)がありました。
昔、塩は調味料や保存用に使われ、同時に、人が生きていく上でも欠かせない、非常に貴重な物の1つでした。
鹽竈神社は日本各地にありますが、福岡県北九州市の隣の苅田町、北九州空港が
ある町にある、鹽竈神社に参拝してきました。
この神社は急な階段を上った山の上にありました。
山に登る階段の右には「明治32年9月吉日」と彫られた石碑があります。
「明治32年」は1899年。この年の2月1日に東京・大阪間に電話が開通します。
この5年前には日清戦争が起き、この年の5年後には日露戦争が起きています。
つまり、この鹽竈神社の石碑は、日清・日露戦争のちょうど真ん中に建てられたということになります。
(付近の人々が塩魂に感謝を込めて設立)
この神社は、社記によると、竈で潮を煮て塩を作り生活の一助としていた村人が、
その塩魂の神恩を頼み、江戸時代の1768年にこの神社を造り、六神大明神を奉ったそうです。
また1855年に隣村で起きた火事が与原村に迫り大火事となるところを免れました。
このことを人々は神のご加護だと思い、以後この地区の人々は明神様と崇め親しんでいます。
鹽竈神社は、 小さな神社、こじんまりとしたした神社ですが、人々の生活に直結し地域の人々に頼りにされていた、心の支えとなっていたそんな神社です。
【鹽竈神社公式HP】
<<鹽竈神社への行き方>>
住所:福岡県苅田町大字下新津字石塚1542番地
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
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