仁徳天皇陵。。大阪・堺にある日本で1番大きい前方後円墳です。
社会の教科書に必ず出てくるこの古墳、おっさんが学生の頃は仁徳天皇陵と呼んでいましたが、現在、教科書では大山古墳となっています。
地元では仁徳天皇陵古墳となっています。
仁徳天皇陵は全長486メートルの綺麗な前方後円墳で1周が2.8キロです。
1周するのに1時間以上かかりましたが、下から見えるのは濠と木だけでした。
濠が張り巡らされていてが、外周からは木々が見えるだけで大きな森のようです。
大き過ぎて上空からでないと、全体の形が見れません。
(ビジターセンター)
古墳の全体像をみたいなら仁徳天皇陵のすぐ横にあるビジターセンターへどうぞ。
入場は無料です。
ここでは、仁徳天皇陵の空中撮影映像が大画面に映し出されます。
空中撮影映像を見て付近の住宅の大きさから比較して仁徳天皇陵の大きさがわかると
思います。
一緒に写真を撮ることもできます。
(堺市役所の展望台から見えます)
仁徳天皇陵から30分ほど歩いた場所にある堺市の市役所21階の展望台(無料)に上ると,全体を見ることができます。
ここは地上80メートル。
しかし、それでも前方後円墳の形ではなく大きな森にしか見えません。
(仁徳天皇とは)
仁徳天皇は第16代の天皇です。4世紀末から5世紀前半に実在したと思われます。
記紀に記されていて聖帝(ひじりのみかど)とも称されます。
仁徳天皇陵ができた5世紀中期は鉄の加工技術が大陸から伝わった時期です。
この仁徳天皇陵がある周辺は他にも大小様々な古墳があります。
結構大きな前方後円墳も複数あるのがわかります。
この周辺は百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)と呼ばれ44の古墳があります。
2019年(平成31年)には百舌鳥古墳群に属する古墳23基が正式に世界遺産に登録されました。
(世界三大墳墓)
仁徳天皇陵周囲には、「陪塚」(ばいちょう)と呼ばれる、小型古墳が10基以上も確認されています。
仁徳天皇陵はエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。
しかし、昔、どうやって作ったんでしょうかね。作業は人海戦術で人力を駆使して作ったのはまあ理解できますが、こんなに大きな古墳なのにどうやってこの前方後円墳という綺麗な形を作ったんでしょうか?形がずれたりしなかったんでしょうか?ズレの修正などはどうやったんでしょうか?測量技術が素晴らしいのだと思われます。
そして、こんなのもありました👇
<<仁徳天皇陵への行き方>>
住所:堺市堺区大仙町
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。
地図上のルートを押すと道案内をしてくれます】