日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

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5月20日 敵国の戦闘機が日本本土に侵入しビラいわゆる紙爆弾を投下しました。

5月20日

初めて敵国の戦闘機が日本の領土に侵入し

ビラ、いわゆる紙爆弾を投下した日です。

 

(中国より飛来)

日中戦争中の1938年(昭和13年)5月20日未明、中華民国の空軍の2機の軍用機が

九州上空に飛来しました。その飛行機は米国のマーチンが開発したB-10爆撃機

これが日本本土に敵国の軍用機が侵入した史上初の出来事です。

 

(5月20日中国軍機九州に飛来)

1938年(昭和13年)5月19日、中国空軍の徐 煥升大尉を隊長とする12人の飛行士たちは、

2機のB-10爆撃機にのり込み、深夜に浙江省寧波を離陸、夜間飛行を行い九州を目指します。

この徐 煥升大尉は、中国空軍第4チームの隊長で、ドイツとイタリアの航空学校に留学した経歴があります。

日付が変わった5月20日(金)午前2時45分、中国機は長崎上空に飛来し、ここでビラを投下します。

さらに3時45分に福岡、そして久留米、佐賀、熊本と、九州の各都市を飛行し、

各地でビラを合計何百万部も空中散布します。

中国機の日本本土上空滞在時間は約2時間で、日本軍の高射砲がようやく火を噴き、

日本軍の飛行機が迎撃出撃をしますが、すでに中国軍機は飛び去り中国へと帰還に向かいます。

 

(どんなビラを配布したか)

中国軍が日本各地で配布したビラは日本軍を非難した内容で見出しには「中国全国民から日本国民への手紙」や「中華民国労働組合から日本労働者への手紙」、「あなたたち(日本人の事)が悔い改めなければ百万のチラシは1万トンの爆発物に変わる」と書いてありました。

 

今回はビラの投下だったために、空襲による日本側の被害はありませんでした。

しかし日本人や日本の軍部には「中国機が日本の本土にやってきた。つまり爆弾を落とすことも可能」と恐怖心を与えました。

 

一方、中国では「中国空軍が日本本土に侵入した」という事実が大きく宣伝され、

中国軍の士気が大きく高まりました。

 ビラを空中散布し無事中国に帰還した2機の乗組員達は大英雄として称賛されます。

 

 

(背景)

中国軍によるビラ配り空襲が行われるおよそ半年前の1937年(昭和12年)12月、日中戦争で戦っていた中国の首都南京が陥落します。これは日本の戦争の歴史の中で史上初めて敵国の首都が陥落したことです。

その後、中国は重慶を臨時首都とし日本軍と徹底抗戦を行います。

一方、日本軍は重慶政府の政治・軍事センターであり、戦闘資材の主要なハブの武漢への空爆を続けます。

そこで、中国国民政府は、日本に対して「政治的空爆」を行うとして、海を越え、日本本土を空襲する計画を立てます。

これを中国では「空軍対敵国内攻撃計画」といいます。

 

当初は九州の都市への爆弾投下計画だったそうですが、この爆撃機の最大航続距離は

約2000kmで日本本土を往復するのがやっとでした。そのうえ、爆撃用の爆弾を大量に搭載するのは無理があります。

そのため中国空軍はビラ投下、いわゆる「紙爆弾」に変更します。

中国によると、その目的は、「日本人が日本本土に侵入できないと考えている日本人に精神的打撃をあたえること」と「全中国国民が日本に抵抗する決意を示す」というPR、さらに中国国内の戦意高揚がありました。

 

太平洋戦争での日本本土初空襲は1942(昭和17)年4月18日にアメリカ陸軍のジミー・ドゥーリットル中佐率いるB-25双発爆撃機によって行われた作戦ですが、その4年前に中国軍が日本本土に初空襲を行っています。

これが史上初の敵国による日本本土初空襲です。

【米軍による日本本土初空襲について書いたブログはココです】

 

・・・ということで

5月20日は日本が史上初めて

敵国の飛行機が侵入し

ビラ=紙爆弾を投下した日です。