(「京都」と書いて「みやこ」)
おっさんの大学時代に仲がいい友人がいて彼の出身高校が京都高校でした。
京都高校は、「きょうと こうこう」ではなく「みやこ こうこう」と読み、
学校がある場所も「京都府の京都」ではなく「福岡県」です。
「京都」と書いて読み方が「みやこ」・・・なんか感じますね。
さらに、この京都郡には、御所山古墳というのがあります。
九州なのに「京都」、さらに「御所」・・・凄く気になりますね。
ということで、この御所山古墳に行ってきました。
(御所山古墳)
御所山古墳は、5世紀後半、 古墳時代中期に造られたと推測されるもので、全長119m、前方部幅82m、後円部径73m、墳丘の長さは約120mの前方後円墳です。
大きいため近くで見て前方後円墳の形はわからず、単なる森です。
少し離れた高台にある鹽竈神社から見た御所山古墳。中央の森です。
付近の住宅と比較するとその大きさがわかると思います。
古墳は応神陵、仁徳陵と同形式です。濠がある古墳は九州では珍しいそうです。
大きな古墳で1周するのに30分以上かかりました。一部、外側には濠の後が見れます。
古墳には案内板がありました。昔は、このような前方後円墳だったようです。
江戸時代の1820年に大風のため古墳が崩壊し石室が偶然発見されました。
そして1887年(明治20年)に横穴式石室内部が調査されました。
中国大陸や朝鮮半島との交流を感じさせる馬具などが出土しています。
九州北部なら朝鮮半島や中国大陸に近いので交流が盛んであってもおかしくないですね。
北部九州屈指の規模を誇るこの古墳に埋葬された人物は「日本書紀」「風土記」に
記された、懸主・国造クラスであると考えられています。
(白庭神社)
国指定史跡の御所山古墳にあるのが白庭神社です。
この白庭神社は、どんと焼きが有名な場所だそうです。
(なぜここが「みやこ」なのか)
この九州ののんびりと田園風景が広がるこの地が、なぜ「みやこ」なのか。
その疑問を解くカギは日本書紀にありました。
『日本書紀』の景行天皇紀には、「天皇遂幸筑紫、到豐前國長峽縣、興行宮而居、故號其處曰京也」という記述があります。
この文は「景行天皇が九州に来た際、仮の御殿を建てて滞在した。天皇がしばらく住んだ場所なので、この地は『みやこ』と呼ばれるようになった」というもので、これが「京都町=みやこ町」の名前の由来です。
<<御所山古墳。白庭神社への行き方>>
小波瀬西工大前駅から1.9km(徒歩で25分)
西鉄「与原」駅から300m(徒歩で4分)