「きんぷせんじ」と読みますが、この金峯山寺は、修験道の金峯山修験本宗の本山で、また一帯は、古くから桜の名所として知られています。
(蔵王堂)
金峯山寺は飛鳥時代に修験道の開祖、役行者によって開かれました。
正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺きで、木造古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇ります。
(南朝の都が置かれた)
金峯山寺は中世には周辺に多くの子院があることから多くの僧兵がいて、吉野大衆と呼ばれていました。
その勢力は興福寺と延暦寺南都北嶺にも劣らないといわれました。こうした軍事的背景があり、南北朝時代には後醍醐天皇が吉野朝廷をこの地に定めました。
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<<護良親王関係の史跡>>
蔵王堂の前にある石で囲まれた箇所は1333年に後醍醐天皇の皇子の護良親王が、
鎌倉幕府軍に攻められここに立てこもった時に本陣を敷いた場所です。
ここで最後の宴を開きました。
(身代わり切腹)
もう1つ写真左にある石碑。
護良親王の宴が終了した後、家来の村上四郎義光(むらかみ ひこしろう よしてる)が親王の鎧を身に着け、親王の身代わりとなり切腹をします。
この話は戦前の南朝への忠義を示す話として、国史や修身の教科書に載っていたそうで
おっさんは1921年(大正10年)生まれの父親からよく話を聞いていました。
(世界遺産に登録)
2004年(平成16年)、金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門が「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
1898年(明治31年)に発行された「旅の家つと、第8」に記載されている吉野山・蔵王権現。(国立国会図書館ウェブサイトより)
一方下の写真は、2021年(令和3年)4月に撮影(おっさん撮影)
【金峯山寺公式HP】
<<金峯山寺への行き方>>
電話:0746-32-8371 (金峯山寺 寺務所)
拝観料
大 人 800円
団 体 720円
障碍者 400円
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