吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にある勝手神社です。
吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入 口にあるので山口神社ともいいます。
(壬申の乱)
吉野は、壬申の乱のときに大海人皇子が身を寄せた場所でもあります。
大海人皇子は兄の天智天皇の病床で自分は出家し皇位を継がない事を主張し
吉野に行きます。
672年、天智天皇の息子の大友皇子に対し大海人皇子が吉野で挙兵します。
そして、この神前で琴をかなでていると、後ろにある振袖山の上から天女が袖を
ひるがえして舞いながら現れ、吉兆を示したといいます。
この故事が五節の舞の起り だといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神様とされて、
かつては猿楽や能が盛んに奉納されました。
(静御前の舞)
1185年の暮れ、平家を滅ぼしたものの源頼朝に狙われた源義経は、
しかし静御前は、従者に金銀を奪われ、山中をさ迷っているところを追手に
捕えられます。
そして、この社殿の前で雅な姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたと
いう話が伝えられています。
社殿は2001(平成13)年に不審火で焼失してしまいました。
淋しい雰囲気に包まれた焼失した神社の跡で、様々な思いを馳せました。
【吉野町公式HPの勝手神社】
<<勝手神社への行き方>>
近鉄吉野駅からロープウェイで3分(ロープウェイ3/24~5/6まで運行予定。その他の時期運行未定。)
ロープウェイ吉野山駅から徒歩で20分
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります】