6月5日は、2人の軍人、しかも両人とも元帥、の国葬が行われた日です。
(東郷平八郎)
(「近代名士写真 其1」:国立国会図書館ウエッブサイトより)
東郷平八郎は、日本海軍での世界史上例のない完全勝利、しかも大国ロシアに対しての大勝利が有名です。
東郷平八郎は、父が鹿児島藩士。戊辰戦争に従軍し、維新後、1871年(明治4年)にイギリス海軍に留学。帰国後、海軍中尉となる。日清戦争では浪速艦長として活躍。日露戦争では連合艦隊司令長官として、自ら作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で
全滅させます。
1934年(昭和9年)5月30日午前7時に亡くなり6月5日に日比谷公園で国葬が行われました。
【東郷元帥について書いたブログ】
(山本五十六)
1904年(明治37年)海軍兵学校卒業。海軍大学校卒業後、駐米大使館付武官、空母赤城艦長などを歴任。また、第一航空戦隊司令官、海軍航空本部長として海軍航空部門の強化に尽力した。1939年(昭和14年)に連合艦隊司令長官就任。太平洋戦争では真珠湾攻撃をはじめ作戦全般を指揮。1943年(昭和18年)4月、南方戦線を視察中に、4月18日にブーゲンビル島上空で米軍機に待ち伏せされ撃墜され戦死。元帥を追贈されます。
6月5日には、戦前唯一の皇族、華族ではない、いわゆる平民としての国葬が日比谷公園で行われました。
【山本五十六元帥について書いたブログ】
(お墓が隣同士)
東京の多磨霊園には、東郷平八郎と山本五十六の墓が並んで建てられています。
東郷平八郎のお墓に向かって左隣に山本五十六のお墓があります。
この東郷平八郎、山本五十六、そして山本の次に連合艦隊司令長官に就任された古賀峯一のお墓は、多磨霊園の“名誉霊域7区特殊”に指定されていて、この3人だけが眠っている特別な場所です。
・・ということで6月5日は、