猿沢池は、 奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池です。
この猿沢池は、奈良時代の749年に興福寺が行う、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式の「放生会」で放つ池として、造られた人工の池です。
猿沢の池は実に風流で、おっさんが好きな場所の1つです。
興福寺の五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しいです。
(鹿ちゃんも元気!)
奈良と言えば鹿!
猿沢池周辺には鹿ちゃんも放し飼いでいました。人を全然怖がりません。
(100年前、明治時代の猿沢池の写真)
1898年(明治31年)発行「日本名勝写真帖」に記載された猿沢の池
1900年(明治33年)発行の「日本之名勝」に記載された猿沢の池
(いずれの写真も国立国会図書館ウェブサイトより)
(猿沢池の龍の話)
高校の時の古文の授業。
おっさんは高校の時、古文の授業が好きでした。
昔の人の生活様式や考え方などがわかるので面白いなあと感じていました。
さて、古文の授業で、ここ猿沢の池での出来事を書いた話を習いました。
宇治拾遺物語の龍です。
この話は簡単に要約すると、
ある人が、猿沢池の端に、『何月何日に、この池から龍が天へ登る』と書いた札が立てたところ、評判を呼び、多くの人が足を止めて、騒ぎ出し「これは是非とも龍を見よう」と言い出します。
これを書いた人は、人々が騒ぐ様子を見て、「してやったり」と喜びます。
龍の噂は、だんだんと広まり、大勢の人が関心を抱き、話題となります。
そのうちに立札を書いた人が「こんなに人が集まるとはすごいことだ。本当に龍が昇るのではないか。」と思い始めます。
自分でウソを書いたのに、だんだん周囲がそれを信じ騒ぎが起きくなるので、当の本人もその気になります(おいおい あんたがでっち上げた嘘でしょ!)
そして龍が現れるという当日。
猿沢の池の周辺には、立札を信じた人が集まり、道も通れぬほどになります。
そして、龍が出るという時刻になると、もう池の周りは近づくこともできないほど
人が密集しています。
立札を書いた人も、本当に龍が出ると思い込み、興福寺南大門の壇の上へのぼり、そこから池を見下ろします。
そしていつ龍が登るかと待っていました。
しかし、当然ながら龍が登ることがなく、時間が過ぎ日が暮れてしまい、結局何もなく1日が終わったという話です。
まあ、この話、噂に惑わされる人、群衆心理、人々の心理などがわかり面白いですね。
SNSが普及した今でも似たようなことがあちこちで起きているかもしれません。
さて、芥川龍之介も、1919年(大正8年)に、この宇治拾遺物語の龍をもとに似たような小説を書きました。ただしラストが違います。
芥川バージョンは人を脅かそうというイタズラで「竜が昇る」と嘘の建札を立てのが、本当になって龍が昇っていく「嘘から出た真」という物語になっています。
奈良猿沢の池の事を考えると、高校の時に習ったこの話をいつも思い出します。
猿沢池から興福寺の五重塔を眺めると、奈良に来たな~と実感します。
<<猿沢の池への行き方>>
近鉄奈良駅から徒歩で5分
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります】
猿沢池、実に風流です。
長時間いてのんびりとたたずみ気持ちいですよ。
鹿ちゃんもいい!!実に風流!!