6月22日は、ボウリングの日です。
江戸時代末期の1861年旧暦5月15日(新暦の6月22日) 、長崎の大浦にあった長崎居留地内の唐人屋敷波止場の近くにあった、広馬場という所に、外国人専用のボーリング場で 、日本初のボウリング場となる「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設されました。
これがわが国最古のボーリング場です。明治元年が1868年のことですから、明治が始まる7年も前のことです。
同年、長崎大浦では、日本初の英字新聞「ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバイザー」が創刊されました。
当初、その新聞にはしばらくの間「6月22日インターナショナル・ボウリング・サロン開設のご通知」という文章でボウリング場の新装開店の広告が掲載されています。
ここで、注釈:外国人向けの英字新聞ですから日本の暦での旧暦の5月15日を西洋の暦の6月22日と記しています。
【この長崎のボーリングについては長崎県ボウリング連盟公式HPのこの記載が1番詳しいです。インターナショナル・ボウリング・サロンの広告記事もあります】
その後,長崎のこのボウリング場を皮切りに、国際港として 開港されていた横浜や神戸にも, 1864年には横浜・1869年には神戸に、日本に駐在する外国人専用のボウリング場が相次いで開設されていきました。
長崎に登場した日本初のボーリング場を記念して1972年(昭和47年)には日本ボウリング場協会が6月22日を『ボウリングの日』に制定しました。
(長崎市に残るわが国ボウリング発祥の地碑)
長崎県長崎市大浦町2番25号大浦天主堂の下から四海楼へ行く途中に「わが国ボウリング発祥の地」という石碑があります。
これ、よく見ると教会の街・長崎らしいステンドガラスを背景に、ボーリングの玉が
ピンに命中している様子がデザインされています。
(神戸市にもある「ボウリング発祥の地」!?)
「ボウリング発祥の地」碑は神戸市にもあります。
2021年(令和3年)1月17日、阪神大震災から26年目のこの日、おっさんは当日が日曜なので神戸に行きJR三ノ宮駅から徒歩10分の場所にある東遊園地で開かれた阪神大震災追悼式に参加しました。
【阪神大震災追悼式典参加のブログ記事はココ】
そのとき時間があったんで会場を散策したところ大きな黒い球を発見しました。
近づいて見ると真っ黒なボーリング球とピンにボウリング発祥の地1869と書かれた碑がありました。下の写真のようにボーリングとピンですね。
これは何かと調べたところ、明治新政府になって間もない1869年(明治2年)年4月20日, 外国人居留地だった神戸に, ボーリングのレーンがついた駐在外国人の会員制クラブ「ユニオンクラブ」が誕生しました。
その後、現在の神戸市庁舎の隣にある東遊園地に移転し, 長年「神戸クラブ」の名称で親しまれてきました。
この記念碑は, 1989年(平成元年)、神戸市制100周年の記念建立計画に基づき, 1991年(平成3年)7月23日に完成しました。
しかし、神戸よりも先に長崎でボウリング場がありましたので、発祥の地は長崎ですね。
本家・元祖争いのようですが、神戸にあるボーリング発祥の地は、発祥ではなかったようです。
(おっさんのボウリングの思い出)
おっさんもよくボウリングをしました。
一番思い出すのが、2008年(平成20年)におっさんの職場で、おっさんの部署と
仕事でよくご一緒する部署とのグループ対決です。
お互い10人ずつくらい参加し、合計得点が多い方が勝ちと言うルールでした。
この時、おっさんが、どうせ対決するなら「ボウリング対決で負けた方が2次会の居酒屋の料金を全額負担するというのはどうだい??」と恐ろしいルールを提案したら、
それが受け入れられ、「負けたら相手の飲み代金を払う」ことになりました。
しかし、おっさんチームには、ボウリングの投げ方も知らないド素人がいて、ガーター連発で合計得点が30点台と言うヘタクソさんが3人もいて、結局おっさんチームが2次会の相手チームの飲み代を払うハメになりました。
相手チームの連中は、人のおごりということでどんどん注文し飲み食いするんで、
非常にきつい出費となりました。
これがおっさんのボウリングの思い出です・・・。
まあ、結果はどうあれ、みんなで楽しめるのがボウリングのいいところですね。
・・・ということで6月22日は ボウリングの日です。