7月25日は、明治政府初の本格的な外国との戦争である日清戦争の火ぶたが切られた
(日清戦争とは・・)
日清戦争は、1894年(明治27年)7月25日から翌年の1895年(明治28年)4月17日に
かけて日本と清国の間で行われた戦争です。
正式に日本から清国へ宣戦布告がされたのは1894年(明治27年)の8月1日です。
(日清戦争の背景)
日清戦争の原因は朝鮮にあります。
よく考えるとなんで朝鮮の事で日本と清が戦争になるのかと不思議に思うかも
しれませんが、当時は19世紀末で帝国主義の時代です。
清と日本は朝鮮の動きを干渉をしていました。
この頃、朝鮮は近代国家建設を目指し開国政策へと転換します。
しかし朝鮮国内には、この動きに反対する勢力もあり、また重税や役人による税の
横領、開国による経済の混乱もあり朝鮮政府に対する民衆の反発が強まります。
それに加え朝鮮の内政に日本と清が干渉し朝鮮国内は不安定になります。
1894年(明治27年)東学という民間宗教を信仰する団体を中心とした農民たちが、
日本や欧米諸国の追放や政治改革をもとめ反乱を起こします(東学党の乱=甲午農民戦争)
これに対抗するために朝鮮政府は清に援軍を求めると、同時に日本も朝鮮に出兵します。そして日本と清の戦い=日清戦争が起きます。
1894年(明治27年)7月25日、日清両国で宣戦布告がなされない状況ですが、日本の艦隊と清の艦隊が朝鮮半島西岸に浮かぶ豊島沖で戦い、日本海軍が圧勝します。
(下関条約)
日清戦争では、日本軍が近代兵器を持ち、また清国軍指揮官に戦意喪失が相次ぐなどして日本軍が各地で勝利をおさめ、開戦から9か月後に山口県下関市で日清講和条約
(下関条約)が調印され終了しました。
【下関条約に関して書いたブログはココ】
日清戦争での日本軍の死者は少なく見積もっても1万3448人、その9割が病死でした。
(日清戦争後の日本)
日清戦争の勝利で日本は、清国に李氏朝鮮に対する宗主権の放棄とその独立を承認させます。また、清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、また巨額の賠償金も獲得します。
しかし、講和直後の三国干渉により遼東半島は手放すことになり、10年後の日露戦争へと続きます。
またこの時に得た賠償金の一部は八幡製鉄所の建設にまわされ、日本の重工業が進んで行きます。
【八幡製鉄所について書いたブログはココ】
日清戦争での勝利で、日本はアジアの近代国家と認められ国際的地位が向上します。
・・・というわけで7月25日は、