1945年(昭和20年)8月9日、長崎市に原子爆弾が投下されました。
広島に人類史上初の原子爆弾が投下された3日後で、今のところ、人類史上、戦争で
核兵器が使用された最後の日となっています。
(長崎原爆)
1940年(昭和15年)の調査では長崎市は人口が25万を超えで全国11位、九州では
福岡市、八幡市(八幡製鉄所があった)に次ぐ3番目の大都市でした。
主力産業は造船、鉱業で、三菱財閥の企業城下町として栄えていました。
長崎市に投下した原子爆弾のコードネームは「ファットマン(ふとっちょ)」です。
たった1発の原爆で 当時の長崎市の約7万4千人が死亡し、爆心地から半径2キロは焼け野原、30%を超える建物が全焼または全半壊したといわれています。
長崎市にHPによると、
「長崎に投下された原子爆弾は、長崎市松山町171番地の上空約500mで爆発しました。原子爆弾が爆発した瞬間の爆発点の温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成したと推定されています。また、火球は爆発1秒後には最大となり、半径約240mまで膨張し、爆発直後の爆心地の地表の温度は、約3,000~4,000度に達したと推定されています。」
と記載されています。
(平和祈念像)
「平和記念」ではなく「平和祈念」、平和を祈る 祈念の像です。
高さ9.7メートル、重さ30トン、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いがあるそうです。
毎年8月9日の長崎原爆の日には、この像の前で平和祈念式典が開催されています。
(↑これは、過去の式典の写真です)
式典には、誰もが参加できます。おっさんも何度か参加しました。
<<行き方>>
(長崎の原爆落下中心地碑)
平和祈念像から少し歩いたところにあるのが 原爆落下中心碑の座標。
この地点の上空、高度約500メートルの地点で、原子爆弾が爆発しました。
(↑過去の長崎原爆の日の原爆投下碑の様子です)
<<行き方>>
(長崎と広島に落ちた原爆は、違う種類)
広島に落とされた原爆は、「リトルボーイ」は、ウラン235を使用しTNT換算で約15ktの破壊力。 長崎に落とされた原爆は「ファットマン」は、プルトニウム239を使用しTNT換算で約22ktの破壊力。
つまり、長崎原爆のほうが広島の原爆より破壊力が強力だったのです。
長崎原爆の爆心地から南東約900mの場所の高台には、原爆によって片方だけ柱が残った山王神社の一本柱の鳥居があります。
原爆の破壊力が伝わると思います。
三王神社の境内には被爆したクスの木が残っています。
<<一本足鳥居の行き方>>
路線バス:長崎電気軌道「大学病院停留所」下車 徒歩5分
(当初の原爆投下目標は小倉)
当初、8月9日の原爆投下目標地は、福岡県の小倉でした。
ここには西日本最大規模の軍事工場群の陸軍の造兵廠がありました。
しかし、視界不良(当時は目視で原爆投下のため)、米軍機の燃料不足など様々な事情で、小倉投下をあきらめ、第二目標の長崎への投下となりました。
現在、福岡県北九州市小倉北区にある勝山公園には、「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」が作られています。
なお、太平洋戦争当時の小倉の様子はこちらのブログを読んでください↓
(原爆投下は国際法違反)
原爆が投下された当時、非戦闘員の殺傷を目的とした攻撃を禁じるハーグ陸戦条約が
あり米国も日本も批准しています。
・・ということで一般市民を大量殺戮した原子爆弾の投下は、立派な国際法違反です。しかし、米軍は戦勝国なのでその罪には問われていません。
東京裁判で、この件が出ましたが不問となりました。
【長崎市 平和・原爆関連HP】
8月9日は今のところ、
人類史上、戦争で核兵器が使用された最後の日
となっています。
原爆が投下された午前11時2分、黙とうをしましょう!