708年旧暦の8月10日、日本で最初の流通通貨・和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)の銅銭が鋳造・発行されました。
今までおよそ1300年以上続く日本の貨幣の始まりです。
「続日本紀」によると和銅元年5月11日(新暦708年6月3日)には銀銭が発行され、7月26日(新暦8月16日)には銅銭の鋳造が始まり、8月10日(新暦8月29日)に発行されたことが記されています。
と言っても貨幣はなかなか流通せず、農村部では物々交換が盛んで、和同開珎は、
ごく一部の地域でしか流通しなかったようです。
(わが国で銅が産出され和同開珎が鋳造・発行)
708年(和銅1)正月、武蔵(むさし)国秩父(ちちぶ)郡、現在の埼玉県秩父市から和銅が
献上されて年号が「和銅」と改元されたのを受けて、5月に銀銭、8月に銅銭が初めて
発行されました。
和同開珎は、円形で四角の穴があります。貨幣には「和同開珎」と文字が刻まれていて,珎は珍の異字であります。珎を宝の略字とみて〈わどうかいほう〉と読む説も
あります。
(和同開珎広がらず・・)
朝廷は708年に和同開珎を発行したのに続いて万年通宝(760年),神功開宝(765年),隆平永宝(796年),富寿神宝(818年),承和昌宝(835年),長年大宝(848年),饒益神宝(859年),貞観永宝(870年),寛平大宝(890年),延喜通宝(907年),乾元大宝(958年)と貨幣を発行していきます。これらは皇朝十二銭と言います。
しかし、和同開珎が発行されたものの、当時の日本の貨幣経済の基盤が未成熟であったため,貨幣と言う概念が浸透せず、朝廷周辺の地域しか流通しなかったと言われています。朝廷は、貨幣の流通を奨励する蓄銭叙位令などの法律を作りますが、なかなか浸透しませんでした。
(和同開珎発祥の地に行ってきたよ!!)
埼玉県を走る秩父鉄道の「和銅黒谷駅」(わどう くろや)から7分ほど歩くと
和同開珎にちなんだ「聖神社」があります。
さらに山の中に行くと銅を採掘した和銅遺跡があります。
おっさんは実際に両方の現地に足を運びました。
【和同開珎関連の地を書いたブログはココ】
(和同開珎は30万円で買える!!)
この日本で本格的に流通した最初の貨幣である和同開珎ですが、東京神田のコインショップで本物が売っていました。
お値段は30万円でした。もう少し高価かなあと思っていたので、この価格には意外でした。
・・・ということで8月10日は
和同開珎が発行された日です。