敵の空襲から情報通信機能を守るために作られた地下通信司令部壕が
福岡県行橋市に今も残っています。
(築城海軍飛行場)
この地下通信指令壕は「築城海軍航空隊」の施設の一部です。。
築城は、瀬戸内海や関門海峡を控えた内海航路の要衝であり、また洋上爆撃や電撃作戦や訓練がやりやすかった点から1943年(昭和18年)6月に海軍の航空隊が宮崎から移転しました。
築城飛行場の面積は145万㎡で、長さ1800m、幅50mの滑走路が、周防灘に向かって
伸びていて、ここで戦闘機乗組員の訓練や教育が行われました。
筑城飛行場の周囲には敵の空襲から飛行機を格納する、掩体壕が複数作られました。
その1つが稲童1号掩体壕です。
掩体壕と同時に情報通信機能を守る通信指令号もその周辺に数カ所造られました。
その1つは、稲童1号掩体壕のすぐ近くにあり、今もその姿を見ることができます。
稲童1号掩体壕から右に出て最初の道を左に進むと信号がある大きな道の手前に車1台が通るような小さな道があるのでそこに入ります。
途中で二股に別れるのでその左を進むと進行方向向かって左側、空き地の中に大きな
コンクリートの塊がいきなり見えます。これです。
これ結構大きいですよ。
草に覆われて近づくのが大変ですが、この壕は、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月に築城海軍航空隊の情報通信機能を守るため造られました。
正面に回りました。
むき出し状態のまま非常に不自然に置かれていますが、ここが入り口です。
入り口はこのようにネットがかけられていて中に入るのは難しいのです。
さらに入り口に近づき、中の様子を見ると下に降りる階段があるのがわかります。
ここから下の通信施設へと入っていくようです。
ここからは、中に入れないので、中の様子は地下通信指令壕の近くに置かれていた案内板の写真や図で紹介します。
断面図と平面図を見ると中はかなり広いようです。全長36.7mで、地下には5つの部屋があったそうです。
写真からは、分厚いコンクリートで頑丈そうな作りだと想像できます。
地下通信壕に置かれていた看板にはこのような説明がありました。
<<築城の地下通信司令部壕への行き方>>
住所:福岡県行橋市稲童105-13
このような貴重な施設は、
戦争の貴重な資料として公開して
平和教育の題材にして欲しいです。