その満州国が滅亡したのが8月18日です。
満州国は1932年(昭和7)年3月1日に、中国大陸の東北部に建国されます。
その前年の1931年(昭和6年)年9月18日、満州事変が勃発すると、関東軍によって満洲全土が占領されます。
そして1932年(昭和7年)3月1日に満州国が建国されます。
満州族で清国最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が満州国の執政に就任し、その2年後には満州国の皇帝になります。
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(日本の生命線)
満州は石炭や鉄鉱石などの豊富な資源が取れる地域で、資源の乏しい日本にとっては
重要な場所だったため「満州は日本の生命線」と言われていました。
「生命線=国家のための非常に重要な地域」と言う意味です。
資源の獲得にくわえ当時の背景を考えると1930年(昭和5年)には昭和恐慌が起き、農村部を中心に人々の生活は貧窮していて彼らを保護することが重要となっていました。
そこで土地が豊かな満州に開拓団として農家を送り込むことも考えられていました。
そして多くの農家が満蒙開拓団として満州に渡りました。満蒙開拓団です。
満州は肥沃な土地で農作物の出来も収穫もよかったそうです。
(五族協和と王道楽土)
満州国のスローガンは「五族協和」=漢人・満州人・朝鮮人・モンゴル人・日本人が
仲良く暮らす「王道楽土」でした。
満州国の国旗は1933年(昭和8年)2月24日の国務院佈告第3号「國旗ノ意義解釈ニ関スル件」で、「青は東方、紅は南方、白は西方、黒は北方、黄は中央を表し、中央行政をもって四方を統御するという意味である」と記されています。5色は五行思想によります。
(当時の独立国の3分の1以上が満州国を承認)
満州国は、傀儡政府と言われていましたが、日本、タイ、ドイツ、イタリア、クロアチアなどが合計21か国が満洲国を承認をしています。当時、世界の独立国は60カ国未満でした。その世界の独立国の3分の1以上と満州国は国交を結んでいました。
満州国には 1945年(昭和20年)8月までに、約200万を超える日本人が満洲に居住していました。
実際に満州国で生まれた方や過ごした経験がある方に話を聞くと「満州天国」と言う
ように物は豊かで日本人にとっては暮らしぶりもよかったそうです。
(8月18日皇帝退位で満州国崩壊)
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄し宣戦布告をしてきたソ連軍が満洲国に侵攻してきます。
皇帝溥儀をはじめとする満州国首脳陣は首都・新京を放棄し、朝鮮ほど近い、通化省
臨江県大栗子に8月13日夕刻到着し同地で避難生活を送ります。
8月15日、日本が敗戦を迎えます。
その2日後の8月17日、国務総理大臣の張景恵が主宰して重臣会議が開かれ、この席で満洲国の廃止が決定されます。
そして、翌18日未明、満州国皇帝の溥儀が大栗子で退位の詔勅を読み上げ、溥儀は満洲国皇帝を退位します。
こうして満洲国は誕生から僅か13年で滅亡します。
溥儀は退位宣言の翌日、通化飛行場から飛行機で日本に亡命しようとしますが、途中、奉天でソ連軍の空挺部隊によって拘束され、ソ連のチタにある収容施設に護送されます。満州国政府要人も8月31日に一斉に逮捕されました。
ということで8月18日は満州国が崩壊した日です。