福岡県行橋市稲童地区にある安浦神社。
森に囲まれているこの神社では、太平洋戦争中に受けた空襲の傷跡を見ることができます。
(海軍航空隊の街の神社)
この神社がある福岡県行橋市稲童地区には、築城海軍航空隊所属の航空機を格納する
巨大な掩体壕=稲童1号掩体壕や地下通信司令部などが作られました。
稲童一号掩体壕
地下通信司令部
そのためこの地域は米軍の攻撃目標となり、何度も空襲を受けています。
旧築城町史などによると、1945年3月から8月15日まで15回の空襲があったとされています。
中でも8月7日の空襲の被害は大きく、37人の飛行訓練生が死亡し、多くの兵士や
民間人が死傷しています。また、稲童掩体壕も狙われ、格納されていた夜間戦闘機
「月光」が炎上しています。
(今も残る空襲の傷跡)
稲童地域の村社である「安浦神社」も米軍の機銃掃射を受け、鎮守の森が焼失したそうです。
鳥居、燈籠、狛犬、石段、拝殿の柱、神楽道具などには機銃掃射の弾痕が今も見ることができます。
「村社安浦神社」と刻まれた石ですが、よく見ると・・・。
石が削られているのがわかります。これは機銃掃射によるものだそうです。
裏にまわると。。。
ボロボロになっているのがわかります。
「大正3年4月2日」と刻まれています。大正3年は、1914年で、この年の7月に第一次
世界大戦が始まります。
鳥居にも機銃掃射の跡が、、、
灯籠も石が欠けています。。
神社に寄付をしてくれた方の名前を彫った石碑も空襲で破損しています。
本殿前に並ぶ狛犬。
狛犬の石には「明治廿年建立」と刻まれています。
「廿」は、20の事なので明治20年=1887年です。
正面に向かって左側にいる狛犬を見ると・・・。
後ろ足の部分は空襲で破損したため、後に修理したということです。
この安浦神社は平安時代の938年に建立されたそうで、地域の神社として長年地元に愛されてきました。ざっと計算しても1000年以上の歴史を持っています。
現在も毎年5月4.5日に春の神農祭、9月23日には秋祭りが行われています。
<<安浦神社への行き方>>
日豊本線JR新田原駅下車 徒歩20分
住所: 福岡県行橋市稲童1032
福岡県行橋市の安浦神社には、
太平洋戦争の空襲の傷跡が今も残っています。