広島市にある原爆ドーム。広島市に原爆が投下された8月6日には必ずTVに登場する
建物です。
原爆ドームは1945年 (昭和20年)8月6日8時15分に広島に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える建物で、世界遺産に登録されています。
原爆ドームは、広島県のさまざまな物産を展示する広島県物産陳列館として開館され、戦中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていました。
(軍都広島に建設)
広島市は日清戦争の時に大本営が置かれるなど軍都として発展し経済の拡大とともに
広島県産品の販路開拓にも力を入れていきます。
そのため、県内産製品の開発、品質向上、販路拡大のための拠点施設として1915年
設計者はチェコ人のヤン・レツルです。
レンガ造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室となっており、その上には鉄骨に銅板を張った楕円形ドームが載せられていました。
竣工同日から開催された広島県物産共進会では、県内はもとより、国内各地、朝鮮・
台湾から、農業、林業、水産、食品、工業、特許の各部門に多数の産物が出品されました。
以後、ここでは、県内外の物産の収集・陳列、商工業に関する調査・相談などを行う
ほか、博覧会や美術展などの会場としても利用されました。
産業奨励館は、1921年(大正10年)には広島県立商品陳列所、1933年(昭和8年)には広島県産業奨励館と改称されました。
【1915年(大正4年)の産業奨励館(広島市公文書館所蔵)】
夜間には建物がライトアップされたこともあります。
【大正時代、イルミネーションに輝く産業奨励館(2枚とも広島市公文書館所蔵)】
(産業奨励館から原爆ドームへ)
1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された原子爆弾により産業奨励館は破壊されます。
原爆は、産業奨励館から南東約160メートル、高度約600メートルの位置で炸裂します。
このときの爆風は1平方メートルあたり35トンの圧力を持ち、風速は秒速440メートルという凄まじいものでした。
当時、産業奨励館の建物内に勤務していた人々は、爆発による大量の放射線の被曝や
熱線・爆風で全員が即死したと推定されています。
産業奨励館の建物自体は原爆が引き起こした激しい爆風と熱線を浴び、瞬時に火を噴き燃え上がって全焼します。
しかし、爆風をほぼ垂直に受けたため、壁の厚い建物の中心部は倒壊を免れ、レンガや鉄骨などを残すだけとなりました。
そして昭和20年代後半から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
({投下6年目の広島を歩く)
おっさんは原爆投下の76年目にあたる2021年(令和3年)8月6日に、広島市を訪れ、
爆心地や原爆ドームをめぐりました。
【投下から76年目の広島市を歩いたブログはココ】
(原爆ドームの中)
建物だけはよく見る原爆ドーム。
中はどうなっているかということで中の様子も見てきました。
と言っても中は立ち入り禁止なので外から見ました。
当時のままでしょうか?ガレキが散乱しています。
一瞬にこのガレキ・・・凄まじい破壊力がわかります。
原爆ドームは、私たちに原爆の威力を語り継ぐ歴史の証人です。
対岸には過去と今の対比ができる場所がありました。
<<原爆ドームへの行き方>>
広島駅南口から路面電車で20分((宮島口行き、西広島駅行き、江波行き))
原爆ドーム前から徒歩で5分以内
原爆ドーム 機会があれば是非足を運んでください。
そして広島で何が起きたのか考えましょう!!