福岡県北九州市若松区白山一丁目にあるJR九州・筑豊本線の若松駅は、かつて貨物取扱日本1を誇った駅です。
(石炭輸送の鉄道として開通)
若松駅は1891年(明治24年)8月30日に日本有数の石炭地である筑豊の石炭を鉄道輸送して若松港に運ぶ目的で筑豊興行鉄道により開設されました。
広大な駅構内には石炭を積んだ多くの列車が出入りしていました。
列車で運ばれた石炭は、石炭桟橋から積みだされ、国内外へと運ばれていきました。
(一等駅・若松駅)
若松駅は、筑豊の石炭を運ぶ駅として栄え、戦前は日本で一番貨物取り扱いの多い駅でした。
戦前、当時の国鉄の駅には1等から5等までの等級がありました。
若松駅は、1911年(明治44年)に博多駅、門司港駅などと一緒に、最上級となる
「一等駅」に指定されました。
その当時、一等駅は東京駅、名古屋、大阪、京都など22駅しかありませんでした。
下の写真は1920年(大正9年)に完成した2代目若松駅を昭和初期に撮影した写真で、若松駅の構内に展示されています。
この若松駅の写真から、その豪華さがわかると思います。
若松駅は、1940年(昭和15年)には最盛期を迎え年間830万トンの積み出しを行っています。
戦後も取扱量は全国トップクラスでした。
現在、若松駅構内には1953年(昭和28年)の全国各駅取り扱い番附が掲げられています。それによりますと若松駅が貨物発着数で横綱として記載されています。
(エネルギー革命で衰退)
戦前、戦中、戦後と活気を見せていた若松駅ですが、1960年初頭からはじまったエネルギー革命で、石炭から石油へと転換していくにつれ、石炭の取り扱いが減少していきます。
1982年(昭和57年)11月には貨物輸送が廃止され、1983年(昭和58年)4月からは構内が整理され縮小化されていきます。
豪華な作りだった2代目駅舎が、1984年(昭和59年)には石炭をイメージした黒を基調としたシンプルな3代目駅舎に建て直されます。
ホームもシンプルになりました。
(ホームに流れるジャズ)
若松駅では、列車が到着するとホームにジャズが流れます。若松が日本1の石炭積み出し港としいて栄えていた頃、上海と貿易が盛んで、色々な文化や風習も持ち込まれました。その1つがジャズで若者を中心に流行し、若松でもジャズバンドが結成されました。
若松駅の改札を出た待合室には、大きな石炭が展示されています。
待合室の壁には、石炭の積み出しで栄えた若松駅の歴史が説明されています。
現在は朝の数時間しか駅員がいない、半無人駅状態です。
(若松操車場跡地)
若松駅の左隣には大きな公園があります。ここは若松駅操車場跡です。
若松駅構内の多くは、公園や駐車場、住宅地になりました。写真中央にある箱型の建物が現在の若松駅です。
石炭最盛期の賑わいは、みられません。
公園には、石炭を運んだ蒸気機関車が飾られています
このSLは1917年(大正6年)に作られた「9600形」です。
全長16・6メートル、高さ3・8メートル、幅2・6メートル、重量69・3トン。1973年(昭和48年)年3月まで筑豊本線で運行され、石炭の積み出し港として栄えた
若松まで石炭を運んでいたそうです。
立派な車体ですが、雨さらし陽さらしで車体が劣化しています・・。
<<若松駅への行き方>>
かつて貨物取扱日本1を誇った若松駅、
今では半無人駅状態となったこの駅に立つと
淋しいような気持になりました。