日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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9月16日 マッチの日

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マッチ・・・最近見かけないですね。

9月16日は、1948年(昭和23年)のこの日に、これまで行ってきたマッチの配給がなくなり自由販売になったことにちなみ、この日が「マッチの日」となりました。

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(戦争中は配給品)

1940年(昭和15年)に砂糖・マッチが切符制になりました。当時は日中戦争の最中で、翌年1941年(昭和16年)には太平洋戦争が始まります。戦争の長期化で、日用品から

生産資材に至るほとんどの物資が統制配給の対象となった時代でした。

戦争が終了し、9月16日にマッチの配給制が解かれ、自由に販売できるようになりました。

 

(明治初期に国産マッチが誕生し外貨獲得の重要商品に)

手軽に火をつけることができるマッチは日常生活には欠かせない物でしたが、出始めた当初は輸入していました。

1875(明治8)年、当時、日本に輸入されていたマッチは、小箱一個で、米4升とほぼ同じ値段だったそうです。この時代の米4升はおよそ30銭、そば1杯が1銭でした。

 

この年、これまで輸入に頼っていたマッチが日本で初めて作られます。

国産マッチの値段は1~3銭で「輸入マッチ」の10分の1以下。この安さで庶民への

普及が進みます。

マッチは、こするだけで簡単に火をつけることができるので炊事、風呂沸かし、などに凄く便利でした。

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日本国内での生産が始まるとマッチは積極的に作られます。当時は、国内で生産される

マッチの約8割が輸出にまわされました。

1880年代から中国やインドなどのアジア地域に輸出され、20世紀初めには輸出の最盛期を迎え、日本はアメリカ、スウェーデンとともにマッチの世界三大生産国となりました。

このようにマッチは、明治・大正期に世界各国に輸出され、外貨を稼ぎ、日本の発展を支えます。

 

(戦後自由化されたマッチ、、次第に見かけないように

なっていく・・)

戦後自由化され誰もが購入できるようになり、マッチは、各家庭には必ずありました。

おっさんが子供の頃は、マッチで、ケーキにのったろうそくに火をつけたりもしました。

中学の時は、悪友と広場で爆竹をよく鳴らしていましたが、そのときもマッチでしたね。

あの頃は、マッチは、仏壇のろうそくや線香、蚊取り線香に火をつけたり、花火をするときにも使っていました。

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マッチの箱のデザインには、綺麗な風景やアイドル、イラスト、かわいい動物の写真、会社名の素敵なデザインなどいろいろあり、それを眺めるのも好きでしたね。

しかし時代の推移と共にマッチは、ライターやチャッカマンなどの出現、さらに生活様式の変化などで最近その姿を見る機会がへりました。

現在マッチの全国シェア率90%以上を占めるのは兵庫県産量の約20%弱は欧米向け中心に神戸港から輸出されています。

 

マッチに関してはココが1番詳しいです

【一般社団法人 日本燐寸工業会公式HP】

 

・・・ということで、9月16日はマッチの日です

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