うぎゃあああ、やられたあああ
おっさんは和歌山城で
忍者に斬られました!
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁という和歌山市街地の
ど真ん中にあるお城です。
江戸時代は徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城で、八代将軍徳川吉宗も住んでいました。
(始まりは豊臣秀長)
和歌山城は、安土桃山時代の1585年(天正13年)に豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。
1600年には浅野幸長が和歌山城主になり城の拡張及び改修を行います。
その後、1615年に徳川家康の第十男頼宣が入城し明治維新まで250年間、徳川御三家の居城となりました。
1901年(明治34年)には、和歌山公園として一般に公開されました。この公園が広いんです。
天守閣は太平洋戦争で焼失し現在の天守閣は、1958年(昭和33年)に再建されました。
青空と新緑と天守閣…いい感じです。
城まで登るには結構石段を登りますので要注意!!
そして、ようやくお城に到着!!いい運動になります。
(時代により違う石垣の積み方)
和歌山城の特徴の1つは石垣です。時代により積み方が異なっています。
豊臣秀長の時代は、地元産の緑色片岩で「紀州の青石」と呼ばれた石を切り出して、
それをそのまま積んだ「野面積み」。
写真は和歌山城砂の丸石垣です。
浅野幸長の時代には、友ヶ島等に石切場を整備し、石を打ち欠いて加工し、それをはぎ合わせて積む「打込みハギ」の石垣です。
隙間があり石の大きさがまだ統一されていません。
徳川期に入ると、熊野の花崗斑岩を用いて、綺麗に加工された切石を精密に積んだ
「切込みハギ」の石垣となっています。
これは、前の2つと比べて確実に整っていますね。長方形に斬った同じ大きさの石がきれいに並んでいるのがわかります。石垣の目地もほぼ横一列ですよね。
写真は和歌山城表坂石垣です。
(石垣の刻印)
また和歌山城の石垣をよく見ると、中には、さまざまな模様の刻印が見られます。
和歌山城の石垣のうち、2110個に刻印があることが分かっています。
刻印のデザインは、家紋や記号で、所有者を示したり、石質の表示したり、鬼門除けなどのいろいろな説があります。
刻印がある石垣は、新裏坂周辺で坂の西方に続く石垣に854個と約4割が集中しています。
おっさんも1つ発見しました。中央の石に丸く刻まれているのがわかります。
(忍者が出没!!)
和歌山城には忍者がいます。
おっさんは城内の数か所で忍者に捕まり,斬られました(というのは嘘で首切り写真にご協力いただきました)
彼らは「おもてなし忍者」といい、その仕事は、記念撮影や、城内案内、車椅子サポートなどをしてくれます。 忍者は天守閣付近や表坂登り口付近などを中心に公園内のあちこちを歩いています。
【和歌山城公式HP】
大人:大人:410円
子供:子供:200円 小中学生
<<和歌山城に行くには>>
・JR和歌山駅からバスで10分(公園前下車すぐ)、徒歩で25分程度
・南海和歌山市駅からバスで5分(公園前下車すぐ)
・南海和歌山市駅から徒歩で10分
住所:和歌山県和歌山市一番丁3番地
073-422-8979
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。】
和歌山城に行き忍者に会おう!!