誰かなと思い近づくと、、その人は「池田勇人」!!
この方、名前は聞いたことがありますが実はよく知りません。
・・・で、調べてみると、広島県竹原市出身の大蔵官僚
第58・59・60代 内閣総理大臣を務め、「所得倍増計画」を推進し、戦後復興から
高度成長期にかけての日本経済を牽引しました。
また、サンフランシスコ講和会議の全権委員もつとめています。
(所得倍増計画)
1960年(昭和35年)7月、安保改訂後辞職した岸信介の後を継ぎ池田勇人内閣が発足します。そして,12月に国民所得倍増計画を決定します。
「寛容と忍耐」のキャッチフレーズを掲げ、経済成長政策をとり1964年(昭和39年)
まで政権を担当します。
(池田勇人、そのすさまじい半生)
この池田さんの人生は、波瀾万丈です。
大蔵官僚になるも大病を患い死線をさまよい長期間休職。
病気の休職期間が切れてしまい大蔵省を辞めたものの、後に復職。
選挙には1949年(昭和24年)初出馬以来7回出馬し全てトップ当選。しかも当選1回で
いきなり第3次吉田茂内閣の大蔵大臣に抜擢。
池田の政策・取り組みに対し「池田勇人、鬼よりこわい、ニッコリ笑って税をとる」という戯れ歌が歌われたほどです。
衆院本会議では、質問に答えようとする閣僚を制して勝手に「私から代わってお答えします」と答弁するなど、いろいろある人です。
また、問題発言も多く「中小企業の一部倒産もやむをえない」「貧乏人は麦を食え」「ヤミなど不当投機をやった人が5人や10人倒産し、自殺するようなことがあっても
やむをえない」と放言しています。
池田勇人は、
日本を資本主義諸国間でGNP(国民総生産)第2位の経済大国に押し上げた一方で、
物価の上昇、公害、農村破壊といった国民生活での問題を生み出しました。