時代が幕末から明治に変わろうとする1868年(慶応4年)5月30日、結核におかされていた沖田総司が命を落とします。
その沖田の終焉の地が東京台東区にあるというので行ってきました。
その後、江戸・市ヶ谷にあった近藤勇の天然理心流道場・試衛館で剣術を習い、
10代で免許皆伝、18歳で師範代を務めます。
1863年、沖田は、近藤勇や土方歳三とともに上京し、芹沢鴨と壬生浪士組を結成、8月に壬生浪士組は新撰組と名を改めます。
沖田の剣の腕は相当なもので、新選組では剣術指南役を務めます。
翌年1864年には有名な池田屋事件を起こします。
【池田屋事件について書いたブログはココ】
そして持病の結核がひどくなり、治療の甲斐なく20代で死亡します。
この入り口には「沖田総司終焉の地」の看板がデーンとあります。
「沖田総司終焉之地」の碑は境内にありました。
(本当に沖田総司の終焉の地??)
新選組隊士の永倉新八の「同志連名記」によると、江戸に引き上げた時、沖田総司は、結核がひどいために今戸神社に収容されたとあります。
この今戸神社は、その頃、医者の松本良順が仮の住まいを置いていた場所で、治療の回なく病状は回復せず、「浅草今戸の松本良順先生宿にて病死」との記述があります。
しかし、永倉はこの時は江戸にいませんでしたので、この記述は推測または伝聞である可能性があります。
そのため最近では、千駄ヶ谷の植木屋・柴田平五郎宅の納屋に匿われており、同地で亡くなったという説が定説という見方があります。
(今戸神社 始まりは平安末期)
今戸神社は、平安時代の1063年に源頼義・義家親子が奥州討伐の際に、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりと言われています。
昭和に入り1937年(昭和12年)に、隣にあった白山神社を合祀して、今戸八幡神社を
今戸神社と改称し現在のようになったそうです。
この神社は「えんむすび」「招き猫発祥の地」とも言っています。
境内の中央には、長く生きていたと感じさせる大きく茂った木がありました。
この木はこの境内でいろんなものを見てきたんでしょうねえ・・。
【今戸神社公式HP】
<<今戸神社への行き方>>
東武線 浅草駅→徒歩11分
つくばエクスプレス線 浅草駅→徒歩15分
住所:台東区今戸1-5-22
沖田総司終焉の地と言われている