2021年(令和3年)11月14日(日)
人間魚雷回天の乗組員たちの追悼式に参加しました。
この島で回天の搭乗員らの追悼式がありましたので参加してきました。
この式は正式には回天烈士及び搭載潜水艦戦没者追悼式と言います。
式には、関係者ら約40人が出席し、若くして命を落とした145人の霊を慰めるとともに平和を祈りました。
(人間魚雷回天)
回天は太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器。
全長は14.75m、胴体の直径は1mで1人乗りで、推進装置には、九三式酸素魚雷の
エンジンを使っていました。
イスに座る形でこの回天の中にいて、乗組員が操縦して敵艦に体当たりします。
回天の先端部分には1.55トンの炸薬を装備していました。九三式酸素魚雷の炸薬量の
2倍の量を搭載できたため、「回天」が命中すると、大型艦船でも一発で沈めることが
可能だと考えられていました。
この「回天」という名前には「天を回らし戦局を逆転する」という願いが込められていました。
回天は、1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁
奇襲で初めて実戦に投入され、以後終戦までに420基が生産されました。
回天は潜水艦から切り離され出撃する仕組みですが、一度、潜水艦から発射した回天は、体当たりに失敗しても回収されることはなく、また、脱出装置もついていないため、乗り込んだ搭乗員は2度と帰ってくることはありませんでした。
終戦の日まで全国から集まった20代の若者を中心に搭乗員145人が犠牲になりました。
(初出撃の日11月8日にあわせて)
回天の基地は日本各地にありましたが、今回の式典が開かれた山口県周南市大津島は
その1つで島全体が訓練基地となっていました。
回天の部隊が初めて出撃したのは1944年(昭和19年)11月8日、「玄作戦」のために
大津島基地を出撃した菊水隊12基が「回天特攻の初陣」ということです。
この日に近い日という事で地元の有志らでつくる顕彰会が毎年11月の第2日曜に追悼式を開いています。
11月8日の初陣後、回天の最初の作戦であるウルシー泊地攻撃「菊水隊作戦」(第1次玄作戦)が、11月19日から20日にかけて行われました。
(式典)
2021年(令和3年)の式典は11月14日(日)で前年に続き新型コロナウイルスの影響で
規模を縮小して開催しました。
(式典詳細)
式典は、人間魚雷回天の基地があった山口県周南市大津島、回天記念館敷地内の慰霊碑前で午前11時半に始まりました。
国歌斉唱の後、黙とう、そして回天顕彰会の原田茂会長(83歳)が式辞を述べました。
(「海ゆかば」にあわせ献花)
その後、周南市長や山口県知事の追悼の言葉(代読)があり、白菊の献花がありました。
献花ではバイオリンが海ゆかばを演奏する中で行われました。
これが、バイオリンの音色と白菊、献花、目の前の海。。。なじむんですよねえ・・。
参列者は列を作り慰霊碑前に白色の菊を献花し、回天搭乗員と回天搭載戦没潜水艦乗員合わせて1299人の冥福を祈りました。
おっさんも献花をし、祖国のために志半ばで命を絶たれた先輩方に哀悼の意を表しました
(元乗組員、撃沈された米兵の息子も・・)
電報紹介のあと菊水隊仁科中尉が搭乗した回天に撃沈されたアメリカ輸送艦ミシシネワの生き残りのジョン・メア氏の子息夫妻もビデオレターで登場しました。
こうして11時半に始まった式は12時10分に終了しました。
参列者の中には回天を搭載した旧日本軍の潜水艦「伊58」の乗員だった93歳の方も
いました。 お元気でしたよ。
出撃したら戻ることがない人間魚雷回天に乗り海に散華した先輩方の事を考え、
このことを伝え残していこうと思いました。
【回天顕彰会公式HP】
<<こちらも御覧下さい>>
・・・ということで
2021年(令和3年)11月14日
回天追悼式に参加しました。