人間魚雷「回天」の基地が置かれた山口県周南市の大津島に、搭乗員の145人の御霊を祭る「大津島回天神社」があります。
(大津島回天神社はフェリー乗り場すぐ)
この大津島回天神社は、回天の初陣75年となる2019年(令和元年)11月3日に完成したもので大津島のフェリー乗り場のすぐ近くにあります。
大津島回天神社の敷地は約250平方メートル。ここに、徳山御影石で作った祠(ほこら)や灯籠、鳥居があります。
ここには訓練中も含め、戦死した145人全ての回天搭乗員が祭られています。
(島に戻った回天神社)
1944年(昭和19年)9月、大津島に回天基地が開設されると同時に、神戸・湊川神社の楠木正成を祭神とする回天神社が基地内に置かれ、回天の搭乗員たちは神社に礼拝して出撃していました。
戦後、祠と搭乗員の位牌は、本土側の帝人徳山事業所内にあった白浜神社にまつられました。
しかし帝人徳山事業所が閉鎖したため、2017年(平成29年)以降は徳山市内の山崎八幡宮に合祀されていました。
そこで「回天搭乗員の魂を島に帰そう」と有志が大津島での回天神社の建立に動きだします。神社の建立資金は篤志家や企業、遺族などから集めました。
(人間魚雷回天)
回天は太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器です。
「回天」という名前には「天を回らし戦局を逆転する」という願いが込められていました。
全長は14.75m、胴体の直径は1m、1人乗り。イスに座る形で乗組員が操縦して敵艦に体当たりします。
回天の先端部分には1.55トンの爆薬を装備していて、「回天」が命中すると、大型艦船でも一発で沈めることが可能だと考えられていました。
回天は、1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁奇襲で初めて実戦に投入され、以後終戦までに420基が生産されました。
回天は潜水艦から切り離され出撃する仕組みですが、一度、潜水艦から発射した
回天は、体当たりに失敗しても回収されることはなく、また、脱出装置もついていないため、乗り込んだ搭乗員は2度と帰ってくることはありませんでした。
終戦の日まで全国から集まった20代の若者を中心に搭乗員145人が犠牲になりました。
【回天追悼式に参加】
【回天顕彰会公式HP】
<<大津島回天神社への行き方>>
大津島馬島フェリー乗り場すぐ
<<回天に関して、お勧めの本です>>
人間魚雷回天の島・大津島に行きましたら、
是非、大津島回天神社を参拝しましょう!