12月15日、
功山寺挙兵・回天義挙です!
(挙兵をした功山寺)
挙兵をした功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある長府毛利家の菩提寺です。
幕末の1863年 、八月十八日の政変で失脚した尊王攘夷派の7人の公家が、京都を追放され長州藩へ落ち延びたました。
そのうち三条実美など5名がこの寺に滞在しました。
1864年年12月15日、高杉晋作は功山寺に潜居していた三条実美ら五卿に藩内改革のために決起する決意を述べ挙兵します。
その背景には松下村塾の師匠・吉田松陰から「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」という教えがあったと言われています。
(三条実美に決意を伝える)
寺に到着した晋作は、尊王攘夷派の公家5人への面会を訴え、それに三条実美が対応します。
高杉が、三条に、挙兵することを告げると、出陣の盃を希望し、三条は冷酒を注ぎます。
高杉は盃の酒を飲み干し、「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と
挨拶をして立ち上がります。
そして、石川小五郎率いる遊撃隊と伊藤俊輔が指導する力士隊との合わせて約80名で下関新地の萩本藩会所を襲撃しました。
このとき長州藩本体の兵力は3000名。この時点では兵力の差が圧倒的でした。
しかし、戦いを重ねるうちに井上馨・品川弥二郎・山田顕義・山県有朋らが合流し、
さらに志願兵も加わり大勢力となりクーデターは成功します。
決起が行われた山口県下関市長府にある長府毛利家の菩提寺・功山寺には、馬に乗って
出撃しようとする高杉晋作の像があります。
この像は、晋作の挙兵から108年目となる1972年(昭和47年)12月15日、朝10時半に、除幕式が行われました。
像の大きさは馬の左右280cm、胴部分180cm、高さ140cm、晋作の身長
160cm。
下から見上げたときにバランスが良くなるよう、顔の長さが30cmもあり、かなり
面長に作られています。
また、この寺は名水で有名で、高杉晋作もこの名水を飲んで挙兵成功を祈願したそうです。
この決起で長州藩内の倒幕派は勢いを取り戻し各所で勢力を増やして萩城へ攻め上り、藩内にいた幕府恭順派を倒していきます。
そして長州藩は、討幕維新へと突き進んでいきます。
4月14日の晋作の命日と12月15日の回天義挙の日の近隣の日曜日には、この銅像の前で法要が執り行われています。
(参考:下関にある高杉晋作関連史跡)
【高杉晋作などの幕末を知りたいならこの本がいいです】
維新ファン、晋作ファンの方、
【功山寺公式HP】
<<功山寺への行き方>>
レンタカーで行った方がいいですよ。
ということで
12月15日は 幕末の大きなターニングポイントとなる
功山寺挙兵が行われた日です