1926年12月25日午前1時25分、療養中だった大正天皇が48才で葉山の御用邸で崩御します。
これに伴い、26才の皇太子裕仁親王が践祚し、新元号を「昭和」とします。
大正が崩壊し、昭和の時代となりました。
(健康がすぐれなかった大正天皇)
大正天皇は幼少時から健康に優れず、第1次大戦期には十分に政務を行うことが困難でした。そのため息子の皇太子・裕仁親王が1921年(大正10年)からは摂政になり国事行為を行っていました。
大正天皇の崩御から2時間後の午前3時15分には御用邸内謁見所で皇太子裕仁親王が皇位継承をおこないました。
また御用邸で閣議が開かれ元号に関しての協議がなされ、午前11時に枢密院の審議結果を受け、新元号が「昭和」となりました。
「昭和」は中国の古典「書経(しょきょう)」にある「百姓昭明 万邦共和」からとったものです。
(年号間違え!!)
下は東京日日新聞が出した号外です。天皇崩御とともに新元号が「光文」と発表されています。しかし、正解は「昭和」でした。
(昭和は1番長い年号)
昭和は、大化以降246番目の元号で、天皇の在位期間は1926年12月25日から1989年1月7日までで、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号です。
最初の「昭和元年」と最後の「昭和64年」は双方とも7日間あるため、昭和の期間は62年と14日です。
(お勧め)
大正はどんな時代だったか、この本がお勧めです。
リンク
激動の昭和を知るならこれがお勧め。資料的価値があります。
リンク
・・・ということで12月25日は