1916年(大正5年)1月22日、午前5時10分、所沢からの飛行を終えた国産初の陸軍の飛行船「雄飛」が、大阪に到着します。
「雄飛」は全長85メートル、高さ22.5メートル、幅15.5メートルで、乗員は最大12名。時速約60キロメートル程度での巡航が可能で最大航続時間は20時間でした。
この飛行船は、竜骨のない軟式飛行船で、2個の空気袋を収めたガス嚢に、推進用に水冷式直列6気筒エンジン2台を搭載していました。実用上の上昇最高高度は2500メートルでした。
雄飛は、ドイツから輸入した飛行船・パルセバールPL13が大破したために、それを
改修・改造したもので新たに設計した箇所が多かったことから、初の国産飛行船とされています。
(11時間あまりのフライト)
1916年(大正5年)1月21日、益田済陸軍工兵と少佐岩本周平技師を乗せた雄飛は、
午後1時半に所沢を離陸し途中豊橋で燃料を補給し大阪に到着しました。
所要時間は合計11時間34分。
今回の飛行は、長距離飛行での耐久性や気象条件の変化に対するテスト飛行でした。
この飛行成功を記念して、1月22日は「飛行船の日」となっています。
飛行船は、空飛ぶクジラと呼ばれ大人気でした。
(天候不良で戻りは列車)
当初、雄飛は往復も飛行が計画されていましたが、機関不調で修理に時間がかかり、
その間に暴風にも見舞われたため飛行が困難となりました。
そこで、復路は水素ガスを抜いて機体を分解して陸路を貨物列車で輸送されました。
(その後の活躍)
その後、雄飛は、2月に所沢・青森・弘前間の往復飛行を行います。
そして、1917年(大正6年)7月21日から22日にかけては、21日午後6時30分所沢を
出発し、22日の午前0時5分に仙台に着きます。
そして22日の午後5時に仙台を出発し、午後11時25分に所沢に帰還します。
しかし、フライトが天候に左右される事や離着陸時には大人数での操作が必要でかつ
作業に手間がかかることなどから、やがて飛行機に取って代わられます。
(雄飛焼きも登場!!)
雄飛が発射した所沢には雄飛にちなんで雄飛焼というお菓子があります。
所沢飛行場で作られた飛行船「雄飛」が所沢~大阪間の飛行に成功した時と同じ年に
創業した「御菓子司 梅月」の初代三之助さんがそれを記念し、雄飛をかたどった紡鐘形の和菓子を串に刺して炭火で焼き上げ出来た焼菓子です。
一個一個、串にさして炭火で焼いて作っています。このお菓子は大正当時モダンなものとされていて軍人や町を訪れる人々に珍重されていたそうです。
そして1930年(昭和5年)には「帝國優良品大審査会壱等賞金牌」を受賞しています。
(雄飛焼きについて紹介したブログ)
(日本では旅行用飛行船はない)
おっさんは飛行船に乗りたいと思っていました。
ゆっくりとのんびりと飛行船に乗るのも、いいもんだなあと感じていました。
しかし現在、日本では飛行船に旅行用の乗ることはできず、わずかに宣伝用の飛行船がありましたが、今はなくなったようです。
2005年に調布で広告用の飛行船が飛んでいるのを見かけましたが、それが最後です。
・・・ということで1月22日は
国産飛行船 雄飛が初フライトに成功した日です。