子供の頃から、どうしても行きたいと思っていた場所が日本全国に何か所かあります。
鎌倉時代の1281年、元が大軍を引きいて日本を攻めてきた2度目の元寇・弘安の役、
このとき博多湾には、石を積んでつくった防塁があり、蒙古軍の侵入を食い止めました。
その元寇防塁が700年以上も経過した今でも残っていると聞き、当時小学生だった
おっさんは現地に行き、この目で見たいとずーっと思いこがれていました。
そして、ようやく福岡に行く機会ができましたので、足を運びました。
(生の松原)
元寇防塁が残っているのは、博多湾 に面した海岸沿いに面積約40ヘクタールに渡って
クロマツ が広がる生の松原(いきのまつばら)という場所の1画です。
生の松原は、海水浴地としても有名で住所で言うと福岡県福岡市西区1丁目から4丁目
まです。
神功皇后 が三韓出兵の際に植えた松が松原の起源だと伝わっていて「 日本の白砂青松100選 」にも選定された景勝地でもあります。.
福岡市営地下鉄と直通しているJR筑肥線の下山門駅で降り海沿いに行くと松林が見えます。
この松林を抜けると海が広がります。
綺麗で爽快な気分になります。
さて、生の松原のこの地区に元寇防塁があります。
海を正面に見て右にある遊歩道を歩くと見えてきます。
これです!!
海岸と松林に挟まれた場所にありました。
鉄の網で囲まれているため近くには寄れませんが、長くて大きい壁です。
もう少し近づいて見ます。
石を積んだ壁ですね。石垣のようにも感じました。
傍に立ってみます。
(生の松原の元寇防塁)
1274年に蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、蒙古の再襲来に備え2年後の1276年に博多湾の海岸線の数か所に石築地(いしついじ)を築きます。
これが元寇防塁(げんこうぼうるい)です。
今回訪れた生の松原にある元寇防塁は約2.5kmの間に幅1~1.5m、残高1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強しています。
裏側に回り見るとこんな感じです。
九州博多湾に上陸しようとした蒙古軍を迎え撃つ日本侍は、当時このような目線であったかもしれません。
当時の防塁の利用状況を示した図がありました。
こんな風に戦っていたんでしょうねえ。。。
史料によればこの付近の防塁構築は、姪浜が肥前国、生の松原が肥後国とあり、使っている石材が違います。
この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性があります。
(蒙古襲来絵詞)
元寇を取り上げるときに必ずと言っていいほど日本史の教科書に載っている蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)。その舞台がここ生の松原の元寇防塁です。
生の松原の元寇防塁にも、蒙古襲来絵詞がタイル状になって描かれていました。
これです。
このタイルの横に書かれた説明文です。
一度なんとか退けた元の大軍の再襲来に備え、着実に防御策を行った日本。
その作戦が成功し、2度目となる弘安の役では、元軍の上陸を阻みます。
【福岡市経済観光文化局文化財活用部文化財活用課HP】観光文化局 文化財活用部 文化財活用課
【参考】
<<生の松原元寇防塁への行き方>>
生の松原の最寄り駅は下山門駅になります。
住所:福岡県福岡市西区生の松原1丁目22
700年前、命がけで外国から日本を守った武士。
その時に活躍した元寇防塁が今も残っています。