2022年(令和4年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。
日曜夕方6時にBSで見て、少し学習し改めて土曜日の13時5分から再放送を見るのが
すっかり定着しました。
(4週連続視聴率1位)
1月30日(日)放送の第4回「矢のゆくえ」は、関東地区の平均世帯視聴率が15.4%を記録しました。
これは同時間帯の番組の中で4週連続視聴率トップです。
視聴率が15%を越える番組は、一般的に高視聴率番組と言われ、これが4週連続、つまり放送開始以来一度も視聴率が15%を下がらないのはいいことです。
さて、第4回、伊豆に身を寄せていた頼朝はいよいよ決起します。
(あらすじ)
治承4年(1180)8月、源頼朝はついに挙兵を決断し、伊豆の国の目代・山木兼隆を討つべく準備を始めます。
さて挙兵をいつ行うかです。
挙兵の日は、時政の後妻の「りく」が作ったおみくじで決め、17日になりました。
挙兵の日となった17日、この日は三島明神の祭りが催され、敵の警備が手薄になるため襲撃には格好の日です。
実は、このおみくじ、どれを引いても17日になるよう細工していました。
当時の国を治める人を知行国主といいましたが、その知行国主から実務を任されていたのが目代という職でした。
さて、攻撃日時も攻撃目標を定まった頼朝勢。。士気が上がります。
しかし、この時代、為政者の平家にたてつく者は少なく、肝心の兵が思うように集まりません。
そして挙兵前日。
計算では200人集まるはずでしたが集まったのは20人程度。
そこで義時らは、侍の募集に動きます。
途中、義時は、敵の伊東祐親の娘で頼朝の前妻の八重にも戦のことを話してしまい、
八重はそれを父・伊東祐親にもらしてしまいます。
極秘の挙兵のハズなのにああ、なんと詰めが甘い!!
そして、決起の日と定めた8月17日。
頼朝は、この日に山木兼隆が三島明神の祭りに行くかどうか確信を持てないために、
挙兵に踏み切ろうとしません。
頼朝は、北条館の離れで観音様に読経をひたすら繰り返していました。
そんな中、頼朝の前妻の八重は、八重の現在の夫・次郎に山木兼隆のことを聞いてみます。すると、山木は前日に落馬して足を痛めていて、今は館にいるとの情報を得ます。
そして八重は対岸にある北条の館に矢に白い布を付けた矢を射ます。
八重がひいた弓矢は北条の館に飛び込んで来ます。
この矢が白い布をつけていたことで、頼朝は八重からだと直感し、さらにこの方法が、頼朝と八重が今夜会おうと逢瀬に使っていた合図だから、山木が館にいるという合図だとわかります。
そして頼朝は挙兵し目代・山木兼隆および後見・堤信遠を襲撃に向かいます
「成敗する。一同・山木の首を挙げてまいれ。」頼朝は、集まった武士に叫びます。
8月17日深夜。堤信遠の館に矢が放たれ4年7ヶ月にも及ぶ源平合戦がはじまりました。
【源平合戦最終章
壇ノ浦の戦いについてはここを御覧下さい】
いよいよ 源平合戦が始まりました!!
【鎌倉殿の13人 NHK公式HP】