ハワイ王国のカラカウア国王が来日します。
これが史上初めての外国の国家元首の来日であり
(日本との連携強化を目指して)
カメハメハ大王が統一したハワイ王国、その第7代の王が、カラカウア王です。
1881年(明治14年)カラカウ国王は、日本をはじめ、中国、アジア、ヨーロッパ諸国を10カ月かけて巡りました。
旅の目的は見聞を広めることでしたが、「諸外国にハワイ王国の存在を認めさせる」という外交目的や、「労働者不足を解消するための移民交渉」という意味もありました。
(史上初の国家元首の来日)
カラカウア国王は、ハワイを出発しサンフランシスコで船を乗り継ぎ、3月はじめに
最初の国・日本を訪れます。このとき日本は明治維新から13年たっていました。
これは日本にとって現役の外国元首としての史上初の来日であったことから
丁重に迎えられます。
横浜港では、二十一発の礼砲とハワイ王国の国歌「ハワイ ポノイ」の演奏で歓迎を
受け、その後、明治天皇にも謁見します。
(皇室とハワイ王室の国際結婚を画策)
3月11日、日本を訪問中のカラカウア国王が赤坂仮御所を訪問し、明治天皇と単独会談を行います。
この席では、王は明治天皇に、ハワイ・アジア連合を構築し明治天皇がその盟主となること、日本からのハワイと渡航移民の促進、姪のカイウラニ王女と山階宮定麿親王(東伏見宮依仁親王)との縁組みを要請します。
この頃ハワイでは、米国と英国からの白人移民が権力を増幅させていて、またアメリカがハワイを自国領土にしようと狙っている気配が感じられました。
このような状況の下、カラカウア王はハワイ王朝の存続のために、日本との関係を強化しようと考えていました。
結局、このハワイと日本の国際結婚計画は、実現には至りませんでしたが、
日本からハワイの移民は1885年(明治18年)から開始されます。
この来日を機に明治天皇はハワイ王国のカラカウア国王との友好関係が続きます。
下の写真は国立国会図書館に保存してある明治天皇が1882年(明治15年)1月に赤坂離宮からハワイのカラカウア国王にあてた手紙です。
【出典:上記写真はいずれも国立国会図書館ウェブサイト(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10213026)の写真を加工して作成】
(ハワイの情勢が大きく動く中、死去)
しかしハワイ王国では、米国との併合を求める親米派の動きが強くなっていきます。
1890年(明治23年)11月、王の様態が急に悪化し米国で静養することになりました。
米国の賓客として米国海軍の軍艦チャールストン号でサンフランシスコに到着しますが、翌年1月20日に死亡します。享年54。
(ハワイ王国滅亡)
ハワイ王国も1893年(明治26年)1月17日に王政が廃止されハワイ臨時政府ができ、
さらに1894年(明治27年)7月4日にはハワイ共和国となり、1898年(明治31年)8月12日にはアメリカ合衆国ハワイ準州、1959年(昭和34年)8月21日にアメリカ合衆国ハワイ州になります。
・・・というわけで3月5日は
ハワイのカラカウア国王が来日した日です