実に綺麗なお姉さんですね・・。
1908年(明治41年)3月5日、「時事新報」に「全国美人写真審査」が発表され
ました。
第一位に選ばれたのは、福岡県小倉市長令嬢で学習院女子部3年に在学中の末弘ヒロ子さん16才。
(日本1の美人を決めるコンテスト)
日露戦争終結後の1907年(明治40年)に起きた「全国美人写真審査」は、
アメリカのヘラルド=トリビューン紙が依頼したもので、日本全国から美しい女性の
写真を募集し日本1の美人を決めようというものでした。
7千名もの応募があるなか、ヒロ子さんは一次・二次審査を通過し、審査員13人ほぼ
全員の絶賛を得て、堂々1位に輝きました。
優勝者にはダイヤの指輪が贈られたそうで、当時は高価だったと思いますよ・・。
このコンテストは、ミス日本を決める初めての本格的なコンテストと言われています。
さらにヒロ子の写真は海を渡ってアメリカの総主催「シカゴ・トリビューン」紙に送られてアメリカでも披露されました。
そして彼女は、世界の美女の6等賞に選ばれたとのことです。
しかしヒロ子さんが在学する学習院がこのことを知り、ヒロ子さんは退学処分を受けます。
・・ということで3月5日は
日本初と言われる「ミス日本」が決まった日です。