太平洋戦争中の1942年(昭和17年)3月9日、
蘭印が降伏します。
(オランダ、ドイツに降伏)
1939年(昭和14年)9月1日、欧州で第二次世界大戦が勃発し、翌年5月15日、オランダはドイツに降伏します。
そのため、オランダ王室などはイギリスへ逃亡し亡命政府を創設します。
現在のインドネシアは、当時はオランダ領東インドで「蘭印」と呼ばれ、ジャワ島、
ボルネオ島の大部分、スマトラ島、セレベス島、ニューギニア島西半分などからなる、ヨーロッパ大陸に匹敵する広大な地域で 石油などの地下資源が豊富でした。
この蘭印は、オランダ本国が降伏した後も、オランダ亡命政府傘下にありました。
( 日本軍蘭印占領)
日本軍は蘭印攻略を担当する部隊として今村均中将を軍司令官とする第16軍を編成します。
そして1942年(昭和17年)3月1日、日本軍は各方面から一斉にジャワ島に上陸します。
蘭印軍8万、日本上陸部隊5万5千と、数の上では蘭印軍が上でした。
各地で進撃を続ける日本軍に対し 7日22時、バンドン地区防衛兵団司令官ペスマン少将は降伏を申し入れます。
降伏の交渉は8日16時からバンドン市近郊カリジャティ飛行場で行われます。
そして蘭印総督チャダル・ファン・スタルケンボルフ・スタックハウエルは、日本軍の降伏要求を受け入れ9日午前、ラジオのバンドン放送で降伏の指示が伝達されます。
時に1942年(昭和17年)3月9日午後3時、蘭印軍約9万3千、米英豪連合軍約5千は武装を解除。全面的無条件降伏が決しました。
そして翌3月10日、陸軍記念日に日本軍はバンドン要塞へ入城します。
蘭印降伏の映像は1942年(昭和17年)3月24日、日本ニュースで公開されます。
【蘭印降伏を告げる大本営発表映像は下をクリック】
(その後 蘭印は重要な資源基地に)
蘭印の制圧で豊富な資源を確保するという日本軍の計画は成功を収め、戦争期間中、
蘭印は日本の戦争経済を支える資源基地として機能します。
しかし次第に日本軍の劣勢で、蘭印と日本との海上輸送ルートが絶たれてしまい蘭印は豊富な資源を持つにもかかわらずその戦略的価値を失ってしまいます。
・・・という訳で3月9日は蘭印が降伏した日です。