1930年(昭和5年)、
関東大震災から7年目の3月24日、
関東大震災で壊滅的打撃を受けた首都東京の復興を祝う
「帝都復興祭」が開催されました。
(今回の写真に関して)
今回の記載に関しては、国立国会図書館ウエッブサイトから、東京市が1932年(昭和7年)に発行した「帝都復興祭志」の写真を引用させて頂きます。
【引用先:国立国会図書館ウエッブサイト帝都復興祭志 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)】
なおこの書籍は公開範囲が「インターネット公開(保護期間満了)」となっていて著作権の保護期間は終了しております。
(関東大震災で東京の大半が崩壊)
1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は首都東京を襲い、東京市の44%が
消失死者・行方不明者は10万人を超えるという大惨事でした。
特に政府機能が集中する首都・東京を襲ったことで色々な面で打撃を受けます。
このため政府は、震災直後に帝都復興院を設立し(復興院総裁は東京市長の後藤新平)、復興事業を行ってきました。また、震災を機に東京市の大改造を決めます。
その総事業費用は当時のお金で7億円でした。
徐々に東京市は復興を遂げ、昭和通りや靖国通りなど、現在の都心で大きな役割を果たしている道路や、鉄道、公園が整備されていきます。
(復興をアピール・帝都復興祭)
こうして震災の傷跡も消え見事復興をしたことを内外にアピールしようと3月24日から
帝都復興祭が始まります。
初日の3月24日には天皇の帝都復興現状の視察が行われ、下町を中心に約30kmを約4時間半かけて移動します。復興計画で拡張や新たに舗装された道路の沿道は、紅白の幔幕などが飾られた沿道には百万人近い市民が集まります。
また夜間は花電車が走りました。
3月26日には帝都復興完成式典が皇居二重橋前広場で行われ、招待者・一般参列者合
わせて約5万8,300人が参列しました。
式典は午前10時半過ぎに始まり、約30分後の11時に終了しました。
その後、11時50分からは日比谷公園で東京市の主催で帝都復興完成祝賀会が行われ、
復興の功労者ら1万3,500名が招待されました。この席には堀切善次郎東京市長や
浜口雄幸総理大臣が出席しています。
この帝都復興祭は31日まで行われ、期間中は昭和天皇ご臨席の式典、ダンスパーティー、演奏会、スポーツ大会も行われ、帝都復活を国内外にアピールしました。
・・ということで 3月24日は
帝都復興祭が始まった日です。