1945年(昭和20年)4月7日、
日本海軍が世界に誇った巨大戦艦の大和
が米機動部隊の戦闘機の集中攻撃を浴び
撃沈されました。
4月7日 午後2時23分、沖縄への片道の燃料を積んだだけの海上特攻に向かっていた
戦艦大和は目的地・沖縄本島に到着する前に米軍機の攻撃を浴び沈没します。
(世界最大級の戦艦大和)
大和は世界一の46センチ砲を装備した最新鋭艦でした。
大和の建造が計画された当時は、破壊力を持つ砲弾を遠くまで飛ばす大戦艦が、各国海軍の艦隊での重要事項でした。そのため46センチ砲を整備していました。
しかし、大和が完成する頃には、海戦の主役は戦艦から航空機に代わっていきました。
そう、大戦艦より航空母艦なのです。
(大和出撃す)
1945年(昭和20)4月1日の米軍の沖縄島上陸をうけて、大和は沖縄での戦闘作戦につくことになります。
4月6日に大和と他9隻からなる艦隊は、広島県三田尻沖を出撃しました。
しかし、これはアメリカ軍の制空権下で、日本軍の航空機の援護のない水上部隊の特攻という無謀な計画です。
九州東沖から東シナ海に入ると米軍の攻撃が激しさを増し、大和は爆弾・魚雷・機関銃を無数に浴び、午後12時40分から約2時間におよぶ戦闘の末、大和以下6隻が沈没します。
世界に誇る巨大戦艦の大和は北緯30度22分、東経128度4分の海底430メートルに沈みました。
この戦いで日本軍の戦死者は3685人、戦傷者459人が命を落としています。
(戦艦大和戦死者の碑)
大和が出撃した広島の呉市上長迫町にある、かつての海軍墓地、現在の長迫公園には、「戦艦大和戦死者の碑」と刻まれた立派な慰霊碑があります。
(馬鹿でかい大和の砲弾)
山口県下関市の関門海峡を見下ろす火の山砲台には戦艦大和の砲弾がありました。
大和に3基9門装備されていた46cm砲は、全長1.95m、重量1740kg、最大射程距離42kmとバカでかいものです。写真のおっさんとその大きさを比べて見て下さい。
【下関要塞 火の山砲台についてはココをクリック】
・・・ということで4月7日は