【サザエさん発案の地看板より引用】
終戦の翌年・1946年(昭和21年)4月22日、正確に言うと終戦からわずか8か月の
この日、九州・福岡の新聞に1つの4コマ漫画が掲載されました。
終戦から8か月。。セリフがカタカナなのが時代を感じさせます。
このサザエさんの第1回の作品は、今も福岡市西新にある「サザエさん発祥の地」に
ある看板で公開されています。
(疎開先の福岡で発案)
戦前、上京し、大人気だったマンガ「のらくろ」の作者の田川水泡の弟子となった
長谷川町子は、わずか15歳で本格的な女流漫画家としてデビューします。
しかし太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)に空襲が激しくなることから首都東京から
福岡に疎開します。
戦争も終わり、そのまま福岡にいた長谷川町子は、福岡で新聞のマンガ活動の依頼を
受けます。
そして自宅から近いももち浜を散歩した際に、海にまつわる登場人物の漫画を思いついて、サザエさんが生まれます。
その様子は、福岡市の「サザエさん発祥の地」にある看板に紹介されています。
【上記2つともにサザエさん発案の地に掲げられていた看板より引用)】
ここに書かれている妹は、長谷川洋子さんで、のちに姉妹社の経理を担当します。
(サザエさんが登場した1946年・昭和21年はどんな時代だったか?)
サザエさんが登場した1946年(昭和21年)。どんな年だったのか見て見ます。
終戦の翌年、日本は史上初の外国の占領下になっています。
1月1日、元旦には天皇の人間宣言が出され現人神から人間・天皇になります。
そして、この年は、農地改革が始まり、極東軍事裁判(東京裁判)も始まり、
11月には日本国憲法が公布される、そんな民主主義の足音が聞こえた時代です。
(福岡市西新3丁目にあるサザエさん発祥の地)
「サザエさん」の発祥の地碑は、福岡市営地下鉄 西新駅から海方面=北西に600m進むんだ「よかトピア通り」の“西新通り”交差点の南西角にある磯野広場です。
ここに,2007年(平成19年)に磯野広場が造られ,記念碑が建立されました。
ここにはサザエさん、妹のワカメ、弟のカツオの像があります。
(その後のサザエさん)
やがて長谷川町子は東京に戻り、姉の毬子と姉妹社をつくり、1947年(昭和22年)
1月1日に単行本のサザエさんを発行します。このサザエさんの文庫本は全68巻発行されました。
この毬子さんが1979年(昭和54年)のNHK朝ドラマー姉ちゃんです。
さらにサザエさんの漫画を再開します。
このときは、サザエさんは結婚し、夫のマスオさん、長男のタラちゃんを含めた7人家族でスタートします。
夕刊フクニチで始まった、漫画:サザエさんは、朝日新聞と移籍し1974年(昭和49年)まで 合計6477回連載が続きました。
1969年(昭和44年)からはフジテレビでのアニメ放送が始まりました。
そして992年(平成4年)、サザエさんの作者:長谷川町子は、漫画家として初めて国民栄誉賞を受賞します。
(この本お勧め!!)
サザエさん誕生ストーリーを書いた「サザエさんうちあけ話」という本があります。
これは、1979年(昭和53年)のNHK朝ドラ「マー姉ちゃん」の原作ですが、これが面白いですよ。
サザエさん誕生、そしてその後の話しが面白く書かれています。
これ。まじ面白い!!
<<サザエさん発祥の地に行くには>>
福岡市営地下鉄西新駅から海方面に徒歩15分程度
住所:福岡県福岡市早良区2
・・・というわけで4月22日は
マンガ・サザエさんが新聞にデビューした日です