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鎌倉殿の13人 第15話「足固めの儀式」

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

最近は日曜日にBSで見て、ストーリーを書いてもう一度流れを把握し

土曜日13時5分からの再放送を見る という流れが定着しています。

ストーリーを確認した上で再度見ると「ああそうだったのか」と新たな発見があります。

 

さて17日に放送されたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜・午後8時)の第15話「足固めの儀式」の世帯平均視聴率は12・9%で前回より0.8ポイントUPしました。

この回は、佐藤浩市さん演じる上総広常がメインキャスト。

上総介広常桓武天皇を祖とする桓武平氏の傍流で、正式名は平広常(たいらのひろつね)です。

 

それではストーリーを見ていきます。

 

【鎌倉殿の13人】15話「足固めの儀式」のあらすじ。

1183年11月、木曽義仲を追討するため鎌倉を出陣した頼朝の異母弟・義経の軍は、近江まで進軍、目指す京都はもうすぐです。

一方、京都にいる木曽義仲は、源氏同士で戦いたくないので、なんと後白河法皇を捕らえます。おいおい!

 

(不穏な動き)

さて、源頼朝がいる鎌倉では、三浦館に、反・頼朝の御家人が集まり「坂東の地を取り戻そう」と不穏な動きをみせています。

しかし、頼朝たちにはこの情報はもれています。梶原景時は内通者であり、御家人たちを引っ張る有力者の上総広常も義時と通じています。

 

反対派の席で怪僧・文覚は「足固めの儀式を行うんじゃ。」と宣言します。

この「足固めの儀式」とは頼朝の長男・万寿の500日目の足固めの儀式ですが、文覚がでっち上げた儀式です。

文覚は、頼朝の嫡男・万寿の身柄を拘束して人質とし、頼朝との取り引きを行う事を

画策します。そのため、万寿を捕獲するためにニセの行事を計画します。

仲間に加わったふりをしていた梶原景時は、このことを頼朝に知らせようとしますが

和田義盛に捕らえられ拘束されます。

そんな中、義時は身重の妻・八重を伊豆の北条屋敷に連れていき、父・時政と継母の

りくに世話をしてもらうよう頼みます。

 

(万寿の500日目の足固めの儀式と鹿狩りが同時開催)

万寿の儀式は、鶴岡八幡宮で行われますが、同時にその同じ日に、三浦館で大掛かりな鹿狩りが行われるということになっていました。大掛かりな鹿狩りということで三浦館に兵が集まり武器の用意をしてもまったく不自然ではありません。反乱軍は鹿狩りを口実に兵を集め武器の手配をし、戦の準備を行っていたのです。


義時は、大規模な鹿狩りと同じ日に万寿の儀式が鶴岡八幡宮で執り行われ、その儀式の主催が文覚だということを知り、気がかかりになっていました。

 そして、源範頼大江広元比企能員安達盛長らに相談します。

また義時は、鶴岡八幡宮に向かい、また比企能員を鎌倉の三浦館に向かわせて、動向を調べることにしました。

 

(三浦の館では)

三浦館では、大規模な鹿狩りを行うという名目で謀反を企てる御家人たちが挙兵の準備をしていました。

 三浦館に到着した比企能員が「鹿狩りはどちらへ」と尋ねると、なんとも不穏な空気になります。

そして比企は捕えられます。しかし、上総広常が「こいつは損得で動く男だ」と言い、比企能員を反乱軍の仲間に引きいれます。

 

解放された比企能員は御所に戻ると謀反の動きはなかったと伝えます。

義時は、比企能員から上総広常の伝言の「鹿狩りは任せておけ」という言葉を聞き、

謀反の動きを感じ、土肥実平のもとへ向かいます。

そして土肥実平から謀反の企てがあることを問い、土肥実平から「うなずき」で謀反を確信します。

 

また、頼朝の知恵袋の大江広元

「おそらくは、八幡宮にきて万寿様を奪い、それと引き換えに鎌倉殿に降伏を強いる

つもりかと。」と事態を予測します。

これを知り頼朝は激怒し鶴岡八幡宮の加勢に安達盛永を向かわせます。

一方、他の者たちには御所の警護するように命じます。

義時は頼朝に「上総介広常殿は、我らと通じております。三浦勢を説得し、戦を回避するために広常に頼んで、あえて敵方についてもらっていたのです。」と伝え、まずは

話し合うべきだと説きます。

また頼朝は御家人たちが兵を引けば、すべてなかったことにすると伝えます。

 

(その日)

謀反を計画した日を迎えます。

八幡宮で頼朝の嫡男・万寿の5日目の儀式が行われます。すると和田義盛畠山重忠らが現れ、万寿や政子らを取り囲みます。

まさに戦闘がはじまるところで、義時や安達盛長がかけつけます。

義時は、「ここにおられる方は、平家を倒そうという志は同じ。坂東武者が一丸となるためには、強い指導力があるものが上に立つ必要がある。だから、鎌倉殿がおられるのです。違いますか。」と問います。

義時の説得に重忠が反論します。(これには理由があります)しかし義盛は「納得した」と刀をおさ、騒ぎは収集します。

これは、義盛が重忠の意見にいつも反対するので、重忠はそれを利用した作戦でした。

 

(三浦の館にて)

鶴岡八幡宮での説得による戦闘回避の後、義時は三浦館に向かいます。

三浦の館では、作戦が失敗したと知った千葉常胤が責任を取り自害しようとしますが、義時たちが「鎌倉殿は、兵を退けばすべてを許すと申しております。」と自害は避けられます。

そして上総広常が「そうと決まれば、解散だ。」と笑い、その場は丸く収まります。

これにて、板東武者による謀反は未然に終了します。

 

(最後の宴)

その晩、源頼朝は義時と協力して御家人の謀反を防いだ広常を呼び、酒の席を設け慰労します。

広常は「武衛!御家人なんざ、ただの使い捨ての駒だ。お前は己の道を行け。法皇様だって、目じゃねえ。御家人が騒ぎ出したら俺がまたなんとかするよ」と言い、

頼朝は「上総之介、そなたがいるから今の儂がおる」と応えます。
この頼朝の言葉に広常は笑みを浮かべます。

実にいい信頼関係です。

 

一方、政子は三浦義澄と岡田義実に会っていました。

政子は、御家人たちのおかげで鎌倉があると言い、今後は言いたいことがあればなんても話してほしいと二人に伝えます。なんでも気兼ねなく話すことができる風通しがいい環境を作りたいのです。

 

 (裁き)

翌朝、鎌倉の御所にて義時は頼朝に今回の件について寛大な裁きを要請します。

また政子からも同様の意見が出されていました。

しかし、頼朝の知恵袋の大江広元が「謀反を起こしてもお咎めはないならば言いたいことがあるときは実力行使となりかねない。」と言い、

 さらに「一切のお咎めなしでは、鎌倉殿の沽券にかかわる。この際、誰か一人に見せしめとして罪を負わせるというのは、いかがでしょうか。上総広常殿がふさわしいかと。」と発言します。

この発言に義時は驚きます。

上総広常は、こちらが頼んであえて謀反側に参加しただけで、本人には全く謀反の気配はなく、しかも騒動をおさめるのに中心的に動いた人物です。その上総広常に罪を負わせ殺害するのはおかしいと義時は猛反対します

 

義時は「初めからそのつもりだったのですか。」と聞きます。

広元はこう言います。「最も頼りになるものは、最もおそろしい。」

 

ここで頼朝と広元のやりとりも面白いです。

頼朝「この鎌倉で、わしの知らないことはない。広元から逐一、聞いておった。上総介広常、いずれ何とかせねばと思っておった。その矢先に、この一件が持ち上がってな。最初に思いついたのは、おぬしであったな」

広元「鎌倉殿でございます」

頼朝「わしであった」

いったいどっちやねん!!!


上総広常を殺害するために反乱側にスパイをさせ、その罪をかぶせ殺害する計画を立てていたのです。なんということ!!

そう、思い出して下さい。かつて広元は「1つ気になることが・・・」とつぶやいた

ことがありましたね。あれは上総広常の存在だったのでしょう・・。

 

さらに広元は「敢えて謀反に加担させ、責めを負わせる。見事な策にございます。

明日、御家人たちを御所に集め、その席で、皆の前で斬り捨てるというのはいかがでしょう。見せしめにするなら、効き目は大きい方が」
殺し方が、だまし討ちの見せしめ公開処刑!!なんたる策略!!

 

当然、広常とのパイプ役を行った義時は「承服できませぬ!」「なりませぬ!なりませぬ!」と猛反発し頼朝に上総広常殺害を取り下げるように願い出ますが、頼朝は「それなら処刑してもいい御家人をひとり挙げろといいます。

そして「上総広常は申した。御家人は、使い捨ての駒と。あいつも本望だろう。」と

冷酷に言い放ちます。

義時は、この計画は源頼朝が仕組んだことと知りますが、どうしようもありません。

 

そして、謀反側に捕えられていた梶原景時に、謀反側と通じていない証拠に、上総広常を殺害しろと命じます。

 暗殺に命じられた梶原景時は「ためらわざるを得ん。ここで死ぬべき男か否か、あとは賽の目に聞くより他あるまい」とつぶやきます。

 

(暗殺)

翌日。みんなが御所に集まります。上総広常は途中、廊下で殺し屋善児とぶつかります。このぶつかったとき懐の刀をすられます。これで上総広常は護身用の刀を持っていません。

今回は殺し屋善児、見事な暗殺サポートです。

 

御所に集まった御家人たち。頼朝が来る前に景時は、広常をすごろくに誘います。

出た目が4=死。。「やられた」と言う広常。これは自らの運命を暗示しているのでしょうか?

梶原景時はサイコロを廊下に投げます。そして、広常が取りに行っているところを

突如、斬りかかります。

上総広常は避けますが、このとき自分の刀が盗まれているのに気づきます。

景時は「上総広常は大悪人なり。御所に攻め入り、鎌倉殿を亡き者にとたくらんだ。

その咎めによって、ここに成敗いたす。」と叫び再度上総広常に斬りかかります。

必死に逃げる広常は「小四郎!」「武衛!」と呼びます。

そこに頼朝がやってきますが、冷たい目で広常を見ます。

目のまえで繰り広げられる惨劇、しかも仲間で功労者の上総広常へのだまし討ちに対し

義時は、泣きながら駆け寄ろうとしますが…朝は「来れば、お前も斬る」と告げます。

そして上総広常は御所にて御家人がいる前で公開惨殺されます。

御家人たちの目の前で行う殺害に、御家人たちはただただその光景を見るだけで何もできません・・・。

公開処刑が終わると頼朝は「今こそ、天下創世の時、ワシに逆らうものは許さぬ。肝に命じよ。」と怒号をあげます。

15話のタイトル「足固めの義」は、鎌倉殿=頼朝の足固めの儀式=頼朝政権の盤石たる基盤づくりの足固めだったのです。

なお補足ですが、広常の嫡男・上総能常は、父の暗殺を知ると反乱の兵を挙げることもなく自害し、上総氏が所有していた所領は没収され千葉氏や三浦氏などに分けられます。

 

(鎧の手紙)

後日、上総広常の鎧の中から手紙が出てきます。

文字が書けなかった上総広常が、文字を練習して習得して書いた、覚えたてのつたない字で書き綴ってありました。

文の内容は、広常が頼朝を支え、頼朝が京に上る姿を信じ、「これから3年のうちやるべきこと」と一生懸命に文字に書き記し、己の懐に持っていたのです。

心の底から頼朝に協力しようと考えていた上総広常・・・。

ああ、それなのに頼朝はだまし討ちの形で暗殺!!

この年、義時に嫡男が誕生します。のちの3代執権北条泰時です。

その赤ちゃんが ぶえい と言います。

この演出。。素晴らしい!!

(つづく)

 

【感想】

いやあああ、これは凄く後味が悪い回でした。御家人たちによる謀反のスケープゴートとされ、利用されて命を奪われた上総介。信じていた人に裏切られて孤独の中で死んでいく。。。ひどすぎる。絶句です・・・。

 

そして主要人物殺害に必ずからんでくるのが、暗殺者善児です。

彼の暗殺リストを振り返ってみます。

<第1話>
 千鶴丸

<第5話>
 工藤茂光
 北条宗時

 <第9話>
 江間次郎

 <第11話>
 伊東祐親
 伊東祐清

 <第15話>
 上総広常(主犯梶原景時に対し善児は殺人ほう助)

 

善児・・・今やオープニングタイトルにその名前があるだけで視聴者を震撼させる存在です。

【鎌倉殿の13人公式HPはココ!!】