2022年(令和4年)5月3日(火:祝)
安徳天皇をしのぶ先帝祭の本殿祭が行われました。
今回は新型コロナ関係で関係者以外非公開でしたので、
本殿外に立ち参加しました。
(先帝祭とは)
「先帝祭」の“先帝”とは、1185年に行われた源平合戦最終章・壇ノ浦の戦いで、8歳で崩御した安徳天皇のことで、先帝祭は、壇之浦の合戦で入水したその安徳帝を偲ぶお祭りです。
先帝祭は毎年5月2~4日に3日間にわたり行なわれます。
しかし2022年(令和4年)は新型コロナウイルスの影響で規模が縮小し関係者のみに参拝者を限定した本殿での儀式なども限られた神事だけが行われました。
(先帝祭本殿祭に参加)
おっさんが参加したのは5月3日の赤間神宮本殿で行われた本殿祭です。この本殿祭は、戦時中を除いて毎年続けられているということです。本殿祭は10時少し前に始まり祝詞の奏上などが行われました。
今回は関係者50人ほどが参列しました。
今回は小規模でしたが、コロナが終息したら一連をじっくり見たいです。
安徳天皇は1178年に誕生し平清盛の娘、徳子と高倉天皇の間に授かった子どもです。
おじいさんは後白河法皇と平清盛という素晴らしい家系です。
1185年に起きた壇之浦の戦いで、祖母の二位尼が安徳天皇を抱きかかえて水の中に入り数え年8歳でこの世を去りました。
(赤間神宮内のゆかりの場所)
朱色が鮮やかな赤間神宮には平氏や安徳帝ゆかりの場所があります。
【平家一門の墓】
【安徳天皇陵】
安徳天皇陵もあります。
(ちょっと足を延ばして・・)
安徳天皇を祀る赤間神宮から少し足を延ばし安徳天皇ゆかりの地に行きました。
【壇ノ浦】
1185年源平合戦最終章・壇ノ浦の戦いが繰り広げられた場所です。
上の橋は関門橋。写真左が本州山口県下関市、右が九州福岡県北九州市門司区。
この海で戦いがあったのです。
みもすそ川公園は、壇ノ浦古戦場址となっています。
義経の有名な八艘飛びの像がありました。
【安徳帝入水の地】
「安徳帝御入水処」には、安徳天皇を抱いて入水したおばあさんの二位の尼(平清盛の妻・時子)の辞世の句が紹介されていました。
「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」
「みもすそ川」とは、伊勢神宮の境内を流れる「御裳濯(みもすそ)川(別名・五十鈴川)のことです。
安徳天皇のおじいさんの平清盛は伊勢平氏の血流であることから、
「伊勢の血を引く末流=安徳天皇」と「伊勢の五十鈴川から流れをくむ壇之浦」を
掛けたと言われています。
このみもすそ川公園には、壇ノ浦の戦いを紹介する紙芝居の方もいました。
1話10分程度で無料。話し方も面白く人が集まっていました。
壇ノ浦の戦いについて書いたブログはここ!
(おまけ)
壇ノ浦で死亡した安徳天皇ですが、実は生き延びたという説もあり、生き延びた安徳天皇の隠れ家と言われる場所が日本に数か所あります。
その1つが、壇ノ浦から近い福岡県北九州市小倉南区にある隠蓑地区。
「隠蓑」という地名からも何かありそうですが、ここは安徳天皇の御陵と言われ、それに由来するといわれるお祭りも受け継がれています。
【安徳天皇が生き延びたという隠蓑地区について書いたブログはここ】
・・・ということで
および
安徳天皇に関する史跡巡りは、すごく良かったですよ