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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ネタバレあらすじ 第20話「帰ってきた義経」

 

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5月22日放送の鎌倉殿の13人 第20回「帰ってきた義経」の関西地区の平均視聴率

(世帯)は12.8%でした。

今回は、天才軍略家の源九郎義経の最後です。

 

では、

第20話「帰ってきた義経」のあらすじを

振り返ります。

 

義経奥州に身を隠す)

1187年2月、京都を脱出した義経は、吉野で静御前と別れ、かつて過ごした奥州平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せます。藤原氏は奥州平泉に本拠を構え、砂金がとれることから絶大な力を保っていました。

この奥州の藤原氏と天才軍略家の義経が手を組んでいるのは頼朝にとって非常に頭が痛いものでした。

 

(奥州の巨星墜つ)

しかし、奥州の覇者・藤原秀衡が亡くなります。

秀衡は病床で「国衡、泰衡、おまえ達兄弟はお互い力をあわせよ。2人の関係にひびが入った時に平泉は滅ぶ。そして義経、平泉を頼むぞ。」と伝えます。

藤原秀衡の嫡男・国衡と次男・泰衡は、兄弟間の仲がよくありません。

そこで秀衡は、次男・泰衡が新たな御館となり奥州をまとめることにし、さらに嫡男・国衝にはなんと秀衡の母とくを嫁にとり、これで御館の父となることを命じます。

そして九郎義経が大将軍に任じます。こうして自分の死後の奥州を守る布陣を作ろうとしたのです。

「もう少し時があれば鎌倉に攻め込んでいたのに・・・」という思いを抱きながら、

藤原秀衡が天へ旅立ちました。

 

(奥州へ)

1189年4月、奥州の覇者・藤原秀衡の死を知った北条義時は「私を平泉に行かせてください。九郎殿を必ず連れて帰ってきます」と平泉行きを志願します。

ここで源頼朝は、「九郎は生かしては帰ってくるな。だが直接、手はくだすな、泰衡に取り入り、たきつけて九郎を討たせる。そして勝手に九郎を討ったことを理由に攻め入る」と話します。

おお!!なんと!!直接頼朝が義経を討つのではなく、藤原国衡と泰衡兄弟の仲の悪さにつけ込んで仲間割れをさせて義経を討ち、さらにその後、頼朝軍が奥州を攻める大義名分を作るという作戦です。

なんと!なんと!

 

(アサシンとの陸奥二人旅)

義時は、梶原景時の勧めで善児を連れて、奥州藤原を訪れます。

ここで登場!アサシン善児。

姿を現しただけで暗い雰囲気になります。そうです、この善児はオープニングタイトルに名前があっただけで、お茶の間を一瞬に嫌な雰囲気に変えてしまう、そんな存在です。

よく考えると、善児は義時の兄 三郎を殺した人であり、八重と頼朝の子どもの千鶴丸も殺しているです。

 

(成長した大姫、でも心の傷は。。。)

一方、鎌倉では大姫もお姉さんになりました。明るさを取り戻したようにも見えました。しかし、弟が差し出した蝉の抜け殻をみて、許嫁で殺害された義高を思い出してしまいます。

それを頼朝は「いつか忘れる。大丈夫。それより帝の嫁にしよう!」といいます。

頼朝も清盛同様に娘を皇室に嫁がせ、血縁を作りたいのですね。まあこの時代ならよくあることだけど。。

 

 (奥州の義経

奥州についた義時たちは国衡、泰衡に「あの者(義経)は、鎌倉殿にたいして謀反をもくろんだ罪人。かくまえば同罪になりますよ」といいますが、泰衡は、「鎌倉殿に歯向かうつもりはない」と応えます。

そのあと、義時と善児は農業をしている義経に会います。

義経は「平氏と戦った私が今はコオロギと戦っている」と笑顔で応えます。農作業も楽しそうです。

しかし、平泉に手を出したら決して許さない。鎌倉が灰になるまで戦ってみせると義時に強く言います。

 

帰り際に義時は善児に「元は百姓だったな。九郎殿のこと、どう思った。畑仕事のことは真か。私を欺いているのではないか」と問います。

善児は「爪の間に泥がへばり付いていました。あれは百姓の手です。」と。・・・この観察眼、善児は単なる人殺しではないですね、

さらに「やっちまいましょうか。寝首をかくのは造作もないこと」と答えます。

これ、さりげないセリフですが、これまでの彼の実力を知っている者には、凄く怖い

セリフですねえ。寝首をかくのは造作もないこと。。。。こわすぎ!!

 

静御前鎌倉到着)

翌朝。義時は義経に会いに行き、「静さんのこと残念でしたね。」と話します。

静御前は、義経が都を落ち延びた後すぐに吉野で捕まり、鎌倉に送られました。

とらえられた静御前は、自らが静御前だとは明かしません。しかし、りくは静御前の座り方から彼女が身籠っている事に気づき、義時に「おなかの子の父親は、たぶん九郎殿。だから名乗らないのではないか。」と伝えます。

 頼朝は「生まれてきた子が男なら、九郎の子じゃ。生かしておくわけにはいかぬ。

由比ヶ浜に沈めよ。」と義時に命令します。


そこで政子は静御前に鎌倉を脱出することをすすめます。

近くにいた道は「こんな女、守ってやることはありません。九郎殿にはれっきとした奥方がおられるのです。里といって、我が比企の一族です。あなたは妾ではないですか。分をわきまえなさい。あなたは九郎殿から捨てられたのですよ」とののしります。

ののしられた静御前は、ついに「私は静です。おなかにいるのは、間違いなく源九郎義経殿のお子。うちは静御前でございます!信じていただけないのなら、証しに舞を御覧にいれましょう」といいます。

黙っていればいいものを・・ああ、自分で身分をさらすとは・・・

鎌倉御所にて、頼朝の前で、白拍子を舞う前に静御前は「生まれた子が殺されたら、

私も死ぬ」といいます。

それを知った大姫は「何とかしてあげて。もう人が死ぬのは見たくない」と言うと、

義時は「こうなったら、わざと下手に舞うしかない。静御前の名を騙った偽物のふりをしてください」とアドバスをします。

 

(しづやしづ・・)

 頼朝の前で舞を披露する静御前は、扇子を落とすなど下手に踊います。頼朝をはじめ皆は「これは静御前ではない、ニセ物では??」と疑いの目を向けます。

しかし、静御前は、やがて立ち止まって少し考えた後に華麗な舞をみせます。

そして有名なあの歌を歌います。

「しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな」――。

これ何のことかわかりませんよね、そこで、この歌を解説します。

 

「しづやしづ しづのをだまきくりかえし 昔を今に なすよしもがな」――。

「しず」は、麻などで作られた糸のことですが、掛詞が2つあります。

1つは「しず(賤)」には、卑しいとか、身分が低いという意味があり、これは静御前が自分自身の白拍子という身分を表しています。

もう1つは「静御前」の名前「静(しず)」でもあります。

「しずのをだまき」は糸を巻いたもの。いわば「糸巻き」で、糸巻きがくるくる回る

イメージから「繰り返すこと」の比喩です。

それをふまえて解釈すると

(現代語訳)「静や、静」と繰り返し呼んでくれた義経との日々も今となっては遠い過去の思い出です。ああ、あの昔が、また今になればいいのに。

 ・・・という感じでしょうか??

 

静御前が頼朝の前で、義経を恋い焦がれる思いを歌うのを耳にして大姫は「どうしてこんなことをするの!!」と戸惑います。

その大姫の隣にいる政子は「女子の覚悟です。あなたが挙兵された時、わたくしも覚悟を決めました。それと同じことです」と隣の頼朝に語り掛けます。

頼朝の前で自らの正体を明かした静御前の話しを聞き、義経は「あいつらしいなぁ」。とつぶやきます。

 

(男子出産)

その4カ月後、静御前男児を出産しましたが、頼朝の命令で善児が容赦なく連れ去ります。これがまた、ワンシーンですが、赤子を連れ去る善児の淡々とした無表情と

態度、、凄く怖いです。

 

その後、静御前は鎌倉を去り行方不明となります。噂では静御前に似た遊女が美濃・

青墓宿にいたという話もあります。

それを聞いた義経は怒りに震え、夜にカカシを剣で真っ二つに斬ります。

これは全て義時の策略で、義時は「うまく運んだようだ」とつぶやきます。

義時、、けしかけましたなあ・・。

 

( 里死亡)

翌日、義時は泰衡に会って、「義経が国衝とともに挙兵する」と伝えます。

さらに義経の首を取り、鎌倉殿に送り届けるより他に道はありませんと伝えます。

最後には「鎌倉勢が攻めてくれば、平泉は火の海。たとえ九郎殿がいたとしても、守り切れるものではござらぬ。四代にわたって栄えてきたご一門を、ご自分の代で途絶えさせてしまってもよろしいのですか」と泰衡をそそのかします。

まあ、本当に義時は策士ですねえ・・


そのとき、泰衡の異母弟・藤原頼衡が現れ「兄上、なりませぬ。亡き父のお言葉、お忘れですか。九郎殿を総大将とし、鎌倉方から奥州を守るのです」と言い、義時には「何をしに平泉へ来た。おまえの魂胆は何だ!」とさけび斬りかかろうとします。

するとここであの男が登場!!瞬時に頼衡を仕留めます。

この動きが実にお見事!!俊敏です。アサシン善児、おみごとなり!!

泰衡は、平泉を守るためには、もう義経を討つしかないと考えます。義時の策略がうまく進んだのです。

 

義経討伐)

夜。泰衡軍が、義経がいる衣川館に向かいます。

その直前、正妻の里は「死にたくありません。ついてきたくなかった。畑仕事も嫌だった」と義経に告げます。そして、「1つだけ嬉しいことがあった」と言います。

それは静御前が産んだ子が殺され、静御前自身も行方不明になったことが嬉しいのです。

里は、京で義経静御前を襲わせたのは自分だと告白します。

これを聞いた義経は唖然とします。刺客を送り込まなければ、兄頼朝に対し挙兵することが無かったのに!!

襲撃は兄頼朝によるものだと思い込んでいた義経は、事をぶちこわすきっかけを作った張本人の里を刺し里は絶命します。

 

義経死す)

泰衡が義経のいる館を囲んでいる時、義時は弁慶にまねかれ義経のもとに行きます。

そして義経は義時と最後の話をします。

義経は、自分の手を汚さずに他の者に始末をさせるという頼朝の策に「兄上がやりそうなことだ」と言って笑います。

さらに「そこまで兄にとって私が邪魔なら、どうでもよくなった。この首で平泉を守れるなら本望だ。」と話します。

そして、義経は、義時に、鎌倉を攻めるならどうするかという作戦を伝えます。

それは北側を攻めるふりをして敵の目をそこに集中させ、その間に平泉から船で鎌倉の浜に到着し、鎌倉を北と南から囲み、さらに通路をおさえ袋のネズミにし火を放つというのです。また船団が鎌倉へ来るとときにバレないように三浦の息子を仲間にいれておくというのです。

三浦の息子の方は損得がわかる・・といいます。これはその後の三浦義村の動きをみればあたっています。

それを聞いた義時は一言「恐れ入りました」と。

さらに義経は「梶原景時にこの作戦を伝えてほしい、きっと彼なら見事さが分かってくれる」と鎌倉攻め案を書いて手紙を義時に渡します。

これが義経の最後のシーンです。戦で死亡したかどうかは描いていません。

義経が、自分が考えた鎌倉攻めの案を解説する姿、これは死ぬ間際まで天才軍略家だった姿を表現しています。

 

(頼朝の涙)

鎌倉へ戻った義時は、梶原景時に地図を渡して、義経が考案した鎌倉攻略法を伝えます。

景時は「この通りに攻め込まれたら鎌倉は滅んだだろう」と言います。これは天才軍略家・義経の素晴らしさを物語っています。

6月13日、奥州で死亡した義経の首が鎌倉の源頼朝のところに届けられます。

その首を前に、頼朝は義経の首桶にしがみつき、「どういう戦いをしてきたのか、お前の口から聞きたいのだ。九郎、話してくれ。九郎。九郎。」と号泣します。

このシーン、おっさんは正直な話、ここまで弟を追い込んで殺してこれはないだろうと冷めてしまいました。

…鎌倉殿の13人・第20話はここまで。今回も・・重苦しい展開でした。

 

(資料:アサシン善児暗殺記録)

今回も2人を殺害したアサシン善児、その殺人歴を見てみましょう。

<第1話>
鶴丸 


<第5話>
工藤茂光  

北条宗時 

<第9話>
江間次郎

<第11話>
伊東祐親
伊東祐清

<第15話>
上総広常(主犯は梶原景時 善児は殺人ほう助)

 

<第20話>

静御前が産んだ赤ちゃん(義経の子)
藤原頼衡

 

善児・・・今やオープニングタイトルにその名前があるだけで視聴者を震撼させる存在です。

まだ、鎌倉殿の13人は放送開始から半分もいってません。これからますます戦乱や裏切り、殺戮が予想されます。

いったい善児は何人あの世に送るのでしょうか?

 

(御前のおさらい)

今回の鎌倉殿の13人では、「○○御前」が複数登場しますので、ここで整理します。

常盤御前は、平安時代末期の女性で、源義朝の側室 。 阿野全成、義円、源義経の母。

巴御前は、平安時代末期の信濃国の女武者で源義仲の妾。

里御前は、義経の正妻。

静御前は、白拍子源義経の妾。

 

鎌倉殿の13人ですが、

これから、曾我兄弟の仇討ちとか頼朝の死 

とか色々起きて、

また混乱しますねえ・・・