斑鳩最古の古墳は、小さな公園のような、本当に小さい古墳でした!
藤ノ木古墳を見た後、法隆寺駅まで歩いていたら田んぼの中に小山を発見!
これは、古墳じゃないか?とピンときたおっさんは、田んぼの中に入らないようにあぜ道を歩き近づきました。
すると・・「斑鳩王家古墳」と書かれた札がありました。
ただし、看板に書かれている「斑鳩王塚古墳」ではなく「斑鳩大塚古墳」という表記もあります。
地図などには「斑鳩大塚古墳」と書かれているので、このブログでは
「斑鳩大塚古墳」という記述で統一して書かせてもらいます。
この「斑鳩大家古墳」は斑鳩町法隆寺南1丁目ある直径35m、高さ4mの円墳です。
階段があるので公園のような雰囲気です。
墳丘の頂上には「殉國碑」と刻まれた忠霊塔がありました。
この忠霊塔の工事をおこなった1954年(昭和29年)に、埋葬施設が発見され、最初の
遺跡発掘調査が行われました。
その後2013年(平成25年)には、奈良大学文学部文化財学科と斑鳩町教育委員会が共同して、測量調査、地中レーダー探査を行いました。
これまでの調査で、古墳は幅約8m、深さ約80cmの周濠を持ち円墳ではなく前方部を持っていることがわかりました。また墳丘地下に全長約7.5m、幅1.5mの粘土槨(ねんどかく)があり、内部から幅60cmの割竹型木棺、銘のある二神二獣銅鏡、甲冑類、鉄製刀剣、筒型銅器、石釧、管玉等が出土しています。さらんい墳丘上には葺石、埴輪も発見されています。
周辺には数基の小規模な古墳が存在していたと見られることから、斑鳩大塚古墳は、
それら一族の長が被葬されているのではないかと考えられています。
(斑鳩最古の古墳)
出土遺物から、斑鳩大塚古墳は4世紀末~5世紀前半、古墳時代中期に作られたのではないかと推定されました。
となるとこの古墳は、斑鳩では最古の古墳です。
古墳時代中期は、巨大な前方後円墳が数多く造られるようになり仁徳陵古墳や応神陵古墳のように400メートルを超える大古墳も築造されています。その仁徳天皇陵に比べこの斑鳩大塚古墳はすごく小さいですね。
(聖徳太子もこの古墳を見かけた?かも??)
想像力をめぐらせると、この斑鳩大塚古墳が斑鳩で最も古いの古墳ということで、
さらにすぐ近くには聖徳太子が建てた法隆寺や聖徳太子のおじさんの穴穂部皇子が埋葬されているのではないかという説もある藤ノ木古墳が存在しています。
そう考えると、聖徳太子や皇族がこの古墳に足を運んでいた、あるいは見かけていた
かもしれませんね
<<斑鳩大塚古墳への行き方>>
JR法隆寺駅より 徒歩15分
古墳の前からは田んぼの中のあぜ道を通っていきます。
住所:生駒郡斑鳩町法隆寺南1-14
か
斑鳩最古の古墳なので、立ち寄られてはいかがですか?